2010.02.08
井戸掘り その3

次善の策という言葉がある。最善の策がうまくいかなかった時、目的を達成するために選ぶ次に善い策という意味だ。次善がダメだったらまた次善と続くから際限がないのだが、私はこの言葉が好きだ。
物事が上手くいかないのは、たいていは手段や方法がよくないからだ。いつもそう思って、不可能と諦めず嘆かず、失敗しつつも次々と策を練る。それは楽しみでもある。時々、とても粘り強いとお褒めいただくこともあるし、妻にも、執念深いとかしつっこいとか、ねちっこいとも言われる。これって褒め言葉?
でも、歯を食いしばって苦労しているとか、それをしなければいけないと嫌々やっているわけでもない。やりたい事をやりたいからやっているだけだ。やりたいと思っている限りはやりたいから、だから次善の策を練る。でもそれって欲望のままか?駄々っ子か?むむぅ、そうだったのか。私って幸せな考え方をする人間なのだな。努力や我慢という言葉も、似合いそうで実は全く似合わないとひとりで合点。
さて、手掘りの井戸と打ち込み井戸には失敗したが、今度は直ちに次の策を取ることにした。
我が家には、我が家の豚肉と交換でもらった古〜いユンボ(バックホー)があったのだ。油圧ホースとシリンダーのあちこちからオイルが滲み、左後方に進むとキャタピラが外れて修理に丸一日はかかるという骨董品であったが、ユンボには間違いなかった。それも大型ユンボだった。
このユンボは、地上から下に約3.5m掘り下げることが出来た。しかし必要な井戸の深さは約8mだから、このユンボでは到底届かない。そこでまず、このユンボがすっぽり入る地下3.5mの穴を掘ることにした。そこにユンボをおろしてさらに3.5m下へ掘れば、合計で7mを掘ることができるではないか。
簡単な足し算だったが、ユンボが入る地下3.5mの穴にユンボを落とすわけにも行かない。そこで井戸の予定地から10m程離れたところより少しづつ斜めに掘り下げていって、目的の3.5m下までユンボの降りるスロープを作っていくことにした。
堀り始めは良かったが、堀ってはまわりに土を捨てスロープを作りつつ降りて行くと、1.5mほど地下に下がった所でユンボの前面も両横面も土の壁となり、掘った土をどこにも捨てられなくなった。そこで、ひとすくい毎にスロープをバックして戻り土を捨てるという、面倒くさいことをしなければならなくなった。バックする度に鉄のキャタピラが軋(きし)んで外れそうになり、もし外れたら、狭い場所では修理が不可能なため、このユンボの地上への引き上げに超大型重機を頼まなければならず、そうなるとたいそうなお金がかかると思うと気が気でなかったが、これを朝から晩までひたすら丁寧に続けたところ、ユンボはじわじわと深みに進み、無事、地下3.5mの位置に斜めにすっぽり収まった。
そして翌朝、昨日掘ったスロープの一番深いところから真下に穴を掘り始めた。やっぱりひとすくいする毎に10mバックして、スロープを戻って土を捨てた。気の遠くなるような作業だったが、午後、ようやく地下約6mを掘ったころから徐々に土が湿り始め、7m近く掘ったところでついに地下水の表面が見えた。
嬉しかった。地下水と簡単に言うけれど、こんな深いところにいっぱい水があるなんて本当に不思議だ。昔の人々は、どうしてこんなことがわかったのだろう。
それにしても、最後の最後まで、河川敷のゴロゴロの大石小石がいっぱいだった。きっと太古の昔から川だったところなのだろう。道理でパイプが打ち込めなかったわけだ。穴の底から地上までは、家の3階の床くらいの高さ(深さ)は十分にあるから、誤って落ちたら命が無い。そしてもう掘っても掘っても、周囲から土砂がガラガラと崩れて来始めた。

ユンボではもうこれ以上の深さは掘れない。だからといって穴の底に降りて穴掘りをしたら、土が崩れ落ちてきて埋もれて必ず死ぬ。そこで、前回挫折した削岩機利用の打ち込み井戸掘りの登場だ。穴の底に打ち込みパイプを突き刺し、ユンボのバケットを利用しつつ、自らが命がけの重しとなって削岩機に乗り、井戸パイプをさらに約2mほど打ち込んだ。高い位置で怖かったが、一度は失敗した打ち込み井戸の方法は、ここでとても役に立った。
井戸パイプを打ち込んだら、掘った穴をそっとそっと埋め戻し、最後に地上に戻ってユンボで土をならした。あら不思議、なぜかとてもたくさんの土が余った。
3日目、地上に出たパイプの末端に昔我が実家で使われていた手押しの井戸ポンプを取り付け、呼び水をして持ち手を上下に何度も何度もギコギコやっていたら泥水が出始めた。家族で交代してもっともっとギコギコやったら、だんだん澄んだ水が出始めた。面白くて嬉しくてギコギコギコギコ・・・。
普段ありふれた水が、実はこんなにも嬉しいものだったとは知らなかった。これからは一生水には不自由しないと思うとさらに嬉しさがこみ上げてきた。掘ってみて初めてわかったこの事実と感覚。本当にありがたいな。
隣家の井戸掘りは止まったままだった。ユンボで掘ったこと、正確な地下水の深さと、そこまで大石小石ばかりだったことを業者の方に教えてあげた。その後、一気に7〜8mを掘り下げることのできる巨大なユンボが隣家に持ち込まれ、井戸掘りが始まった。そして隣家にも井戸が掘れた。
井戸を掘ってもう何年も経つが、蛇口から水が出ると今でも嬉しい。よその家に行って、蛇口をひねって出る水を見てもなんとも思わないから、これは我が家の蛇口の水が、あの地面の遥か下の地下水だということをこの目で直接見て知っているからだろう。井戸掘りは、今から思い出しても大掛かりで面白い作業だったので、とても思い出深い。しかも、掘り終えた今も、ずっと満足。
ピーすけ
2010.02.01
井戸掘り その2

朝、布団で寝ていたら、妻が起しに来た。農家の朝は早い・・・ことはなくて、私はいつも自分のペース。サラリーマンを辞めてまずうれしいこと、それは、毎朝早起きをしてもいいし、気兼ねなくゆっくりと寝ていてもいいということだ。妻は早起き派。私はゆっくり派。さらに自由でいいことは、好きな音楽を聞きながら、腰をフリフリさせて仕事ができることだ。リラックスしつつ物事に集中できる。そして何事においても集中出来ると、意外と疲れない。疲れたとしても心地よい。もし集中出来ない時は、いつでも好きなときに休憩できるからありがたい。自分のペースにあわせて一日を過ごせるのはとてもいい。もちろん仕事に振り回されることも多々あるのだけれど。
さて妻は、
「お隣りさんで、井戸掘り工事を始めたよ」
と言って、私を起しに来たのだった。すぐさま飛び起きて、井戸掘り工事を見に行った。そこで業者の人がやっていた井戸掘り工事は打ち込み井戸と言って、鉄のパイプを地下に深く打ち込んで地下水をくみ上げるという方式のものだった。
隣家の庭には丸太3本でごく簡単な三脚やぐらが組んであり、そのやぐらには先端が鋭利に尖った長さ5mほどの金属パイプが縦に取り付けてあった。鋭利な先端部分は地面に突き立ててあり、やぐらの上に突き出たそのパイプの末端には削岩機が突き刺してあり、その削岩機には、地面に届くほどのロープが何本かくくりつけられていた。
削岩機というのはコンクリートや岩などを割る機械だが、パイプに突き立てられているこの機械のスイッチをオンにしてロープを地上で引っ張ると、削岩機の力によって鉄パイプが少しづつ地下に打ち込まれていくという仕組みだ。誰が考え出したのか、これは面白い方法だ。
作業を1時間ほど手伝いながら、打ち込みの仕方を見せてもらった。1分で数ミリづつパイプが打ち込まれて行く。打ち込んだパイプが地中で小石に当たって打ち込めなくなると、大きなレンチでパイプを挟んでぐるぐる回す。そうすると、また少しづつ打ち込まれて行くのだ。もろい石は割って入っていくし、少し大きい石があっても、ぐるぐる回しながら削岩機で打ち続けると、その石を動かして、回避して打ち込めるのだそうだ。
その特殊なパイプは、先端は尖っていて焼入れがしてあったが、そのすぐ上には小さな穴がたくさん空いていて、そこが地下水脈に届いたら、そこから水を吸い上げられる仕組みになっていた。業者の人の仕事の休み時間に、あたかも世間話をしているふうを装って、打ち込み方だけでなく、どこでそのパイプが手に入るかも聞き出した。削岩機とそのパイプがあれば井戸が掘れるのだから、深い穴を掘るよりもずっと簡単で安全で楽ちんだ。さぁ、活動開始だ!
その日の午後、早速教えてもらったプロ御用達の店に行って、パイプを売ってもらえるか聞いた。素人にもあっさり売ってくれた。価格も1万円しなかった。削岩機は、友人の大工をしているお父さんのところに故障中のものがあるというので、それを借りた。故障の心当たりの部品を買いに行って、自分で交換修理したら直った。削岩機の先端部分は、井戸掘りのためには少し加工が必要だし消耗部品なので、それも同時に買って、家にあった鉄片を削って刀のつばのようなものを作り、溶接をしてそれにくっつけた。
井戸掘りを見に行った翌日には、私も丸太でやぐらを組んで、井戸掘りを開始することが出来た。朝起きるのは遅いが仕事は早い!そして削岩機のスイッチを入れてロープを引っ張ると、ほんの少しづつだがじわっじわっとパイプが地面に吸い込まれていって、私はほくそ笑まずにはいられなかった。だって1万円ちょっとでで楽々井戸掘りができるなんて、素晴らしすぎる!
・・・が、2m程を打ち込んだところで打ち込めなくなってしまった。パイプをいくら回しても、全く打ち込めなくなった。きっと先端が大きな石にあたったのだろう。なんといってもこの土地は、元河川敷だから。そのパイプを頑張って引きぬいて、少し場所を変えてやってみた。それでも2mほど打ち込むと、やっぱり打ち込めなくなった。 先端が硬いものに当たっている感じがパイプから伝わってくるのだ。削岩機の能力が少し小さいことも影響しているようだ。
さてとなりの井戸掘り業者はというと、さすがはプロ、パイプはすでに5mほど打ち込まれていた。・・・が、こちらもそこで完全にストップしていた。やっぱり大きな石にあたっているようで、少しあきらめ顔だった。近所にある井戸の深さは約8mで、地下水脈までまだ3m足りない。私の場合はまだ6mも足りない。これは絶望的だな。
かくして2度目の井戸掘りは、またしても2日目で挫折となった。プロでも上手くいかないようなゴロゴロ石の土地なのだから仕方がないか。
それにしても昔の人は偉い。深い井戸を人力だけで掘り遂げてきたのだから。またしても先人の偉大さに圧倒される私であった。
つづく
2010.01.25
井戸掘り その1

スリランカから神戸市にあるNGOのPHD協会に農業研修に来ていたナンダナさんが、我が家にもやってきた。と言っても、これはもう何年も前の話だが。アジアの国々から農業研修でやって来る研修生は、日本の農家に農業を教わりに来ているのだが、私は逆に彼らにいろんなことを教わった。
ミャンマーから来た人には魚醤の作り方を、タイから来た人にはタイ風の鶏の解体の仕方と鶏料理、ナンプラーとレモンとニンニクを使った焼き鳥のタレの作り方なども教わった。そしてついでに、長年持っていたけれどうまく投げることの出来なかった投網の投げ方も教えてもらった。彼らの生活のほうが私のやりたい生活に近くて、機械や高価な道具を使わずに生きて行くための技術は、とても参考になるからだ。
スリランカのナンダナさんは、私が井戸を掘りたがっていることを知って、それを教えてくれることになった。手掘りの井戸だ。私は彼の教えに従って、長い太い鉄の棒に日本の農具などを溶接して井戸掘り専用の道具を作った。そうしたら、彼が我が家滞在中にぜひ掘りたいと言い出して、二人で井戸穴を掘る事になった。
やってみた人はご存知だと思うが、実は穴掘りというのは、数ある労働の中でも最も過酷な仕事のひとつだ。彼と交代交代で穴を掘り始めたのだが、私はすぐにばててしまった。30分もしないうちに青息吐息になり、口ほどにもない弱っちい農民であることがスリランカ人にバレてしまった。日本の農民の評判を落としてしまったかも知れない。日本の皆さん、申し訳ない。(今笑って読んだあなた。一度穴堀りしてみてから笑ってね)
固い地面を掘るのは重労働だし、掘った土も重くて、少し穴が深くなってくると、その土をスコップで穴の外に放り投げるのも大変だ。スコップに土を満載して、それを肩より上の位置に持ち上げるのは想像以上にしんどい作業だ。とんでもない大変な仕事を始めてしまったと思った。それでも日頃から機械など使わずによく働いている彼は、若いこともあって疲れを知らず、2日目には、直径1m、深さ2メートルの穴が掘れた。
でも、この井戸掘りには大きな問題があった。私の土地は元々は田んぼで平地にあるのだが、大昔は河川敷だったところだ。字(あざ)地名も島田という。昭和になって治水事業が行われ河川の流れが固定されて、それでようやく家が建て始められたというところなのだ。だから掘っても掘っても河原のような石と砂ばかり。ひと抱えもある石(岩?)も出てきた。そして2m掘ると、とうとう周囲の土砂が内側に崩れ落ち始めた。崩れを防ぐために、掘った穴の側面に石を積み上げて壁を作るのだが、それも崩れ落ちてくるのだ。これ以上掘ると土砂が一気に崩れてきそうで、生き埋めの危険もある。二人で話しあって掘るのを止めることにした。ナンダナさんはとても残念がったが、私は本心とてもほっとした。あんな穴掘りを6〜8mも続けるなんて、過酷すぎて私には出来ない!
せっかく堀った大穴が惜しいので、地上部に屋根を付けて、収穫した野菜の貯蔵庫にした。夏は20度を超えることなく、冬外気温が氷点下になるときも、穴の中は10度近くあって、とてもいい天然の冷蔵庫になった。湿度もあり、野菜の貯蔵にはとても適していた。今はその上に倉庫を建てたので、残念ながらもう埋めてしまったが。
かくして、一度目の井戸掘りは野菜貯蔵庫作りとなり、わずか2日で挫折した。2回目の挑戦はその3年後、妻の一言で始まった。 (つづく)
ピーすけ
2010.01.18
根深ネギ

今年も根深ネギのおいしい季節がやって来た。冬の野菜は甘くておいしい。霜が降りて気温が氷点下になると特においしくなる。砂糖水が凍ってもカチコチにならないように、野菜も自らの糖度を上げて、自分の体が完全に凍結してしまわないように頑張るからだ。
ネギは管状になった葉の内部にトロっとした粘液のようなものがたくさん出来て、これまた甘くておいしくなる。特に岩津ネギなどのように、成長するに応じて土掛けをして白い部分を長くした根深ネギは、真冬にとてもおいしくなる。鍋に入れてもすき焼きにもおいしいし、3〜4センチの長さに切って炭火の網の上で転がして焼き、醤油をちょこっと付けて食べてもおいしい。
1990年代初頭、世の中はバブル景気で賑やかだったが、その頃私は農作業が面白くて、お金にもならない根深ネギづくりに熱中していた。多くの秋冬野菜に共通する事柄だが、早めに種まきをしたり定植した野菜は、寒さが来るまでに大きく育つが、冬の寒さには弱い。大根などは凍ってすぐに腐るし、ネギの場合は、折れたり葉先が茶変する。一方少し寒くなってから植えた野菜は、気温が低いためなかなか育たなくて小さいが、凍結には強い。その上肥料を少なめにした方が、野菜も長持ちする。そんなネギは、雪が降っても折れること無くシャキッと伸びて、葉も青々としている。その両者の中間の、そこそこの太さがあって、しかも冬中味わえる綺麗な根深ネギづくりはなかなか難しいのだ。
そのネギ作りの何年か前、私は勤めを辞めて神戸市からこの田舎に引越してきたのだが、それまで住んでいた神戸市のニュータウンの、住宅ローンをめいっぱい借りて2000万円ちょっとで購入していた小さいマイホームは、すぐには売却せず(売れず)、そのままにして他人に賃貸していた。しかしバブル期の最盛期、私が根深ネギづくりに熱中していた頃には、その神戸の家の相場はどんどん上がり、近隣の同じような家は、買った時の3倍ほどの値段で売れ始めた。私はそれを知りつつ、でもその家を売らなかった。それは、お金を使ってではなく、自分のやりたい事をやりたい、自分で生活を作ってみたい、という強い思いに取り憑かれていたからだ。そもそも、勤め人時代の収入に不満があって脱サラしたのではなかったのだから。
妻と、
「世間はバブルだけれど、我が家は3本100円のネギ作り」
など言って、お金も無いのに笑っていたものだ。ネギづくりと言っても、そのネギを全部掘り上げて売っても3万円にもならない程度のもので、私たちの暮らしは世間の動きとはほぼ無縁だった。
その後建築後20年以上を経過して、まだたくさんの住宅ローンも残っていたが、その家が老朽化してきて何かと費用や手間がかかるようになったので、数年前に手放した。深いデフレ不況の真っ只中でもあり、買った値段よりもずっと安くにしか売れなかった。
でも、それで良かった。あの時あの家を売って大金を手にしていたら、私たちの今の生活はなかっただろうと思うからだ。まとまったお金を手にしていたら、私たちはそんなに強くないから、すぐに誘惑に負けて、きっとあれこれお金で済ませてしまって手作りを楽しまなかっただろうし、何かとやりくりや工夫をして、自分たちの手で土地を整地し直接家を建てるということもなかったと思うからだ。そして手にしたそのお金も、多分全部使い果たしていただろうと思う。あぁ、本当はか弱い私たち。もちろん今も。
まだまだ道の途中だが、この20年間は、大変だったけれど充実していて面白かった。誰のものでもない、まさに自分たちの手作り人生だったような気がする。よくやったぞ、よく頑張ったぞ、妻と私!家族のみんなも、私たちに付き合ってくれて本当にありがとう。
冬になって、畑の根深ネギを見ると当時を思い出す。
「あ〜、やっぱり大損したかな。今そのお金があったら・・・」
などとも思うが、私はそれほど後悔はしていない・・・つもり。妻も、多分・・・。
ピーすけ
2010.01.11
歩く

今、歩くのが面白い。ちょっと前までは、実は歩くのは億劫だった。また普段、畑や田んぼの畦を歩いているし、そこそこ体も動かしているので運動は足りていると思っていた。そもそも、歩くために歩くのは、どうもしっくりこない。
歩くのが必要だから歩くのではなく、運動が必要だと言って体を動かすのではなく、また健康のためにサプリメントなどで特別な栄養素を補給するのでもなく、つまり運動も栄養も、日常の労働や食事で過不足なくすべて事足りて、それでいて健康が維持できるような無理のない生活を普段からしたいと思っている。農的暮らしは、そういう意味ではすべてが上手く内包されていて、理想的な暮らしだとも思っている。
でもこの頃は、もっと歩かなくてはと思うようになった。以前よりも体が動きにくくなったと感じているからだ。ただ、やっぱり、歩くために歩くのは面白くない。出来れば、行きたい、あるいはしたいことをするために歩きたい。さらに自分で歩くところはどんなところでも、道なき道でもいいから、出来るだけ自分で決めて歩きたい。これは旅行も同じ。
登山も、山が高いとか低いとか、有名だとか無名ということには全くこだわらないが、登るルートは自分で探したり選んで決めたい。自分で登山道を拓くつもりで、ナタ持参で登ることもある。その調子で道を探して登るから、同行する妻が不安がる。案の定、時々道にも迷う。自分でも厄介だと思うが仕方がない。でもどうしてもそれが嫌なら、家の居間で、ロードランナー(ゴムローラーが自動で動いてその上を走るエキササイズ用の機械)にでも乗って走るか、いやいや、そんなものはもったいなくて買えないから、よく知った近くの田んぼの畦を行ったり来たりしていたらよろしい!
そして今、いよいよ私の時代がやってきた。今はインターネットのおかげで、これまで大型書店でしか買えなかった国土地理院の2万5千分の1の地図をネットで見ることが出来る。等高線のはっきりわかる、いろいろな登山ルートも載った全国の詳細な地図だ。またヤフーやGoogleの地図では、詳細な空撮地図も見ることができる。距離を細かく計測できるネット地図もある。ただ歩くのではなくて、行ってみたいと思う意欲や気持ちにあわせて、さざまな情報を、家に居ながらにして手に入れられ計画できるから嬉しい。全部無料だから、一層ありがたい。
一晩あれこれと地図を見比べ距離を測って、今回は京都府の亀岡市から京都市の嵐山まで、保津川峡を通って山越えで歩く計画を立てた。人がよく歩く道なのかどうか、ハイキングコースなのかどうかはわからないが、どうやら道はありそうだ。総行程は約18Kmほどだ。念のため、10枚以上の詳細地図を画像データで携帯電話に取り込む。

亀岡市に車を置いて、妻と会社が休みだった娘の3人で、午前9時30分に京都に向けて歩き出す。想像していたよりずっといい道だ。

亀岡市から下ってきたインフレータブル(空気注入式)カヤック2艇に出会う。気持ちが良さそうだ。次回は保津峡をカヤックで川下り!と提案する。瀬の多い川のようで、妻が少しビビる。

トロッコ列車と保津川下りの船にも出会う。トロッコ列車の小学生が手を振ってくれる。

いったん渓谷を離れてしばらく山道に入り、再び渓谷沿いの保津峡駅に降りて、そこで弁当を食べて、さらに東へと向かう。そして保津峡駅から歩くこと約1時間、森の中の山道から、突然ひょっこり嵯峨野に出た。

ここは化野(あだしの)念仏寺の近く。さっきまで山歩きだったのに、とても不思議な気分。ここまで4時間半。

しばし嵯峨野を散策し、嵐山に向かう。亀岡市から嵯峨野までは山あり渓谷あり観光地ありで、歩くのにはとてもおもしろいコースだ。

嵐山の渡月橋のライトアップを見て、電車で亀岡まで帰る。帰路はわずか11分、190円で亀岡駅に戻り着く。安くて面白い一筆書きのコースとなった。
さて次はどこへお散歩に行こうか?兵庫県は太平洋と瀬戸内海と日本海に面した唯一の県。せめて瀬戸内の明石市から日本海まで、一度テントを持って山越えで歩いてみたいんですけど。
ピーすけ
2010.01.04
ニンニク

昨年10月の後半に種ニンニクを植えた。ニンニクは秋の終わりに植えたらすぐに芽が出て、冬の間は寒さに耐えながらも少しづつ大きくなる。実はこの寒さが、ニンニクには必要らしい。このニンニクは、初夏には掘り上げて収穫できる。失敗の少ない、作りやすい作物のひとつだと思う。
ニンニクは世界中で料理に使われる作物なので、世界中どこでも栽培できるポピュラーな作物だと思っていたが、決してそうではないらしい。暖かいところでは栽培が難しいそうだ。カナダ在住の友人Kさんが、日本は寒冷地に適したニンニクも、暖地に適した生姜も栽培できる気候に恵まれた国だと教えてくれた。そういえば、カナダではニンニクは作れるが生姜は栽培出来ない。逆に南の国では、生姜は作れてもニンニクは出来ないのだろう。あらゆる料理や薬味に欠かせないニンニクと生姜がどちらも簡単に自宅で作れる私たちは、とても恵まれてるのかも。
さてそのニンニクだが、スーパーなどで売られている商品を見ると、今では価格が二極分化している。中国産などの輸入ニンニクは、5個入り100円というものもある。その一方、国産のニンニクは1個390円の値段がついていることもある。1個あたり、実に20倍近くの価格差だ。そして中間帯の価格の商品が殆どない。どちらを買おうかと悩む人も多いと思う。妻と、
「うちもニンニクをたくさん作って一発一儲けするか」
などと話すくらいの価格差だが、それは比較的安価な国産ニンニクを生産していた国内農家が、いよいよ淘汰されてしまったからではないかと想像している。
実は今、もう農村には農家と呼べる家はほとんどない。農家というのは、農業を家業にしている家の事だが、ここ20年で著しく減少してしまった。
町内にも、かつては野菜を作り、それを出荷している農家が結構あった。農作物価格が安くても、それに耐えて身を削って農作物の出荷をしていた農家があった。だから安い農産物が市場に出ていたのだが、そういう農家は徐々に淘汰されてしまった。
農村も構造変換が進んで、かつて農業で所得を得ていた家の稼ぎ頭の人は、今や殆どがサラリーマンや農業以外の産業に従事して所得を得る人になってしまった。もう農業ではやって行けなくなったからだ。私の村では今も田んぼや畑を持っている家は多いが、農地を所得を得る場としている人はまずいない。ほとんどの人が会社勤めをしていて、そのため昼間村で見かけることも少なくなった。だから今の農村には、農業所得が少ないことを問題にする人もあまりいない。それはもう、どちらでもいい話なのだ。
今残っている農家は、安ければいいという価格競争に巻き込まれない、確かな品質のものを作っているわずかの農家だと思う。そうやって生き残ってきた産地や農家だと思う。国産ニンニクの価格はその結果だろう。そしてニンニク以外の農産物にも、これから同じことが起こっていくと思う。
これまでは農家が随分悩んだが、これからはいよいよ買う人が、何を選択して買って食べるか、財布とも相談しながら真剣に悩まなければならない時代になっていくのではないか。買う人が、野菜に選ばれる時代と言えるかもしれない。
日本は気候に恵まれているようだし、自宅の庭を使って、あるいは遊休農地を少し借りて、自家用のニンニクや農産物を自分で作って楽しむという、次の一手をやってみるのもいいかもしれない。それとも、我が家のニンニク、たくさん作っているんですけれど、少しお安くしますので買います?(うそうそ!)
ピーすけ
2009.12.28
修理か買い替えか、時は金なりか?

10年間ほど菓子工房で使っていた電卓の調子が悪くなった。シミが付いて汚れているだけでなく、いくつかのキーを押しても数字を表示しなくなったのだ。菓子工房でパンやお菓子の配合量の計算に使っている計算機だが、小麦粉やパンくずだけでなく、液体の酵母やバターなどもキーボードに入り込んだのが原因で、押すと戻ってこないキーもある。これは修理しなくては。
夕食を終えてほっと一息の時間、テレビを見る人もいるだろうし、本を読む人もいるだろう。人によってさまざまな時間の使い方があるだろうが、私は壊れ物の修理をすることも多い。掃除機やファンヒーター、ラジカセやパソコン、プリンターなどの電化製品でもいいし、割れたプラスチックのおもちゃやヒンジの壊れた筆箱でもいい。穴の空いた靴下でも、ボタンの取れたシャツでもいい。夜のくつろぎの時間を私なりに楽しむために、普段からいろいろ壊れた物を妻や子供たや孫たちから収集して保管している。

さて今回の電卓だが、これは最も簡単な修理だ。修理というよりも分解掃除かな。精密ドライバーで裏側のネジを開け、マイナスドライバーを差し込んで裏蓋を開ける。内部の部品を止めているネジを外し、基板も外す。細かいネジはピンセットやネジつかみでつかんで外す。数字キーも全部外す。組み立てる時にわかりづらいと思われるところは、随時デジカメか携帯電話で写真を取っておく。今は写真が簡単に撮れるしすぐに見ることができるから、随分と修理が楽になった。ややこしい配線を外しても全部元通り再現できるし、組み立てて見たらネジが余った!ということも減った。
各部品を歯ブラシで丁寧に掃除する。必要があれば水洗いし、ゴミを取り除きよく乾燥させる。今回は、数字キーと、キーと基板の間にあるマットを特に入念に掃除する。不思議な話だが、例えばどこが壊れているのかよく分からないような精密な電気部品でも、綺麗に水洗いしてゴミなどを落としてしっかり乾燥させれば、元通りに直ることもある。あとは間違わないように組み立てるだけ。

汚れておんぼろに見えた電卓は、かくしてほぼ新品に蘇った。気持ちがいい。小学生にでもできる作業だが、今では10年間毎日使っていたようには見えないのが嬉しいな。これからもしっかり働いてもらおう。
ところがところが、こういう事はなかなか誰もやらないんだな。
この電卓の掃除に要した時間は約1時間、そしてこの電卓は、確か350円くらいで購入したものだと思う。多くの人は調子の悪くなった電卓を見捨てて、新しいものを買うだろう。たかが350円なんだもの。そんなものの修理に1時間もかけたら、逆に時間が勿体無い。そもそもそんなものをチマチマ修理している暇など無い!
ごもっとも、ごもっとも。私もかつてはそういう考えの持ち主だった。すぐに自分の時間を時給や日当で換算をして、買い換えるか自分で修理するかを判断していたものだ。でも今はそのように考えるのをやめた。ちょっと修理すれば使えるものを捨てるのは、その物自体が勿体無いということがひとつ。そしてもうひとつは、自分の値打ちを時間当たりのお金の値打ちで計るということは、必ずしも正しくはないと思うようになったからなのだ。もちろん便宜上、自分の時間をお金の値打ちで換算しなければならないことも生じてくるが、それを日常生活にまで持ち込むのはやめたほうがいいと思うようになったのだ。
実際今回電卓を修理して、楽しい時間を過ごすことが出来たし、電卓の中がどうなっているのかも知ることが出来て面白かった。たかが電卓だが、新品のように蘇った様子を見ると嬉しくもある。だから1時間を修理に使って、損をしたとは思えないのだ。結構充実した時間だった。そう言えば、私は今回、お金など一円も使っていない。いや逆に、新しい電卓を買うのに350円使うこともなかったから、得さえしたような不思議な気分だ。
物が壊れた時や物を作るときの日当計算は、ひとつの計算方法ではある。でも決してすべてではないのだ。そしてそのことに疑いを持たないと、いつしか生活の多くや頭の中が、ひとつの価値観に占領されて行く。そしてそれを合理的とさえ思い始める。終いには自分の値打ちさえも・・・。
お金に振り回される生活をしたくなかったら、まず自分や自分の時間の値打ちをお金に換算して考えるのは止めよう。自分の時間の価値は、自分の満足度や面白さ具合そのもので測ろう。それで十分だ。そうすれば、自分の生活や時間が自分の元に戻ってくる。何かが壊れたとき、あるいは何かを新調する時は、これはチャンスとちょっと立ち止まって、自分で修理するより、あるいは作るより、買ったほうが本当に得なのか?時は金なりと言うけれど、本当にそうなのか?と、もう一度じっくり考えてみよう。
ピーすけ
2009.12.21
冬の野菜

今年もいよいよ寒くなってきた。突然寒波がやってきて、真冬になったから驚いた。寒さに弱い(それ以上に暑さにも弱い)私は、外が寒いと聞いただけで震え上る。
そういう時は覚悟して、外に出るまでに相当の厚着をする。毛糸の帽子をかぶりフード付きのヤッケも着て、防寒長靴も履く。そうして意を決して着ぶくれて外に出る。ところが少し動くと恐れるほど寒くはなくて、人間って適応力があるものだと毎回思う。下手に厚着をするとかえって汗をかいて、冷えると寒い。毎回そう思うが毎回リセットされて、やっぱり寒いと聞いただけで外には出たくないと思う。頭でっかちである。
野菜たちは寒波にびっくりして、あるものはしおれ、中には一気に枯れるものもある。ネギや白菜、水菜など、大方の鍋料理に使う野菜は甘みが増しておいしくなるのだが、春菊は寒さに弱い。霜が降りるだけで葉先が茶変してしまう。辛うじて生きてはいるが成長が止まってしまう野菜も多い。大根の地表に出ている部分は凍ったあと腐る。
寒い冬に活躍するのがビニールハウスだ。真冬に度々氷点下の気温になるところでも、十分野菜が作れる。冬に食べる野菜がなくなって、遠くから輸送された(しかも多分ビニールハウスで作られている)野菜を買うくらいなら、小さくてもいいからビニールハウスを作ることをお薦めしたい。
ビニールハウスはビニールが反エコだと言う人も多くて目の敵にされることも多いが、わずかの化石燃料で作られていて、しかも長持ちして、保温をすることにおけるエネルギー効率は素晴らしくいい。太陽エネルギーを上手に取り込めるから、石油をそのまま燃やして保温するよりも遥かに効率がいいのだ。例えば装置を作るだけでその後の生産エネルギーを超えてしまうソーラーパネルも、これと同じように太陽エネルギーを利用する装置ではあるが、作られた時点でもう勝負がついている。ビニールハウスの足元にも及ばない。それにそもそもビニールを目の敵にする人も、暖房するでしょ、車にも乗るでしょ。旅行にも行くし、プラスチック製品も使うでしょ。それ以前に、冬に野菜を食べないわけにはいかないでしょ。
さてそのビニールハウスの作り方だが、その費用の殆どがパイプフレームだ。鋼管の直管(真っすぐのパイプ)はそんなに高くないが、屋根の部分の曲がったパイプが高価だ。ハウスキットもあるが、それもいい値段がする。そこで直管を曲げて、曲がったパイプを作ってしまう。これは園芸農家のFくんに教えてもらった方法だ。
地面に杭を打ち、なだらかに曲げたい所には自動車のタイヤ、ドラム缶などを杭で固定して置いて、それに添わせて鉄パイプをぐいぐい曲げていく。最初の1本を注意深く曲げて、その後はそれと同じようにやれば同じものが作れる。直径22ミリまでくらいの鋼管なら綺麗に曲げることができる。グラフ用紙に縮尺したパイプの曲線を書いて、それを実寸で地面に写し取って杭などを打つといい。やってみるととても簡単。これで費用は半値以下になる。しかも敷地に合う好きな大きさのものを設計して作れる。切り取ったパイプや余ったパイプは、夏野菜などの支柱に利用する。これは丈夫で長持ちする。パイプフレーム自体は、台風や大雪の害に会わなければ一生使える。
ビニールは半透明の物がいい。透明なものを使うと、ハウス内は夜の放射冷却により外よりも冷えてしまう。寒い地方では内部に針金を張って、空気層を持つ二重ビニール張りにすると効果的だ。ハウスの中で野菜に直接寒冷紗を被せてもいい。ビニールは、上手に使えば10年以上持つ。私はこのビニールは浪費ではなくて、とても有効な使い方だと思う。自家用野菜だしそれほど寒冷地ではないので、内部を石油で加温したりはしない。
おかげで、路地の野菜とあわせて、冬中野菜がふんだんに食べられる。やわらかいサラダ野菜も食べ放題だ。春先には苗作りにも活躍する。自分で本当にやってみると、限られた条件下で、何が無駄で浪費で、何が良いかよくわかる。世間の一般常識やビニールという言葉だけに単純に反応するようではいけない。自分の頭を使って考えてみよう。
ピーすけ
2009.12.14
真昼の訪問団

そらまめ農場はとてもコンパクト。平均的な専業農家よりはもちろん、平均的な兼業農家よりも規模は小さい。そんなそらまめ農場にも、視察や研修と言う名目で、県内外から結構沢山の方が来られる。それも団体さんで。当初はこんなことは想像もしていなかったから、今はよほど世の中が激変していっているのだろう。藁(わら)にもすがる?
先日は農業学校の生徒さんたちが来られた。来春社会人になる皆さんだ。校長先生がそらまめ農場に関心を持って下さっているようで、大きいプロ農家での研修とあわせて、こんな小さい農場にも生徒さんを連れて来て下さる。校長先生、目の付けどころがいい!
そらまめ農場は、そもそ規模縮小路線だったわけではない。21年前に農業を始めた当初は私も意欲満々で、毎年近所の農家から農地を借り、農地も買い足してきた。結構広い面積で野菜を作り出荷し、鶏ももっともっとたくさん飼うつもりで鶏小屋を建て始めた。
でも、農産物も家畜も世話のタイミングがとても難しいし、適時に確実に手が必要だ。手順も思いのほか複雑で煩雑で、たくさんを全部うまくやろうと思うとすごく頭も使う。段取りも必要だ。そしてなんといっても体を使う。その上、たくさんの農産物を売るのも容易ではない。私は5年ほどやってみて、こりゃ本当に大変だとつくづく思った。私には向いていない。それで面積や作業量を増やすのをやめた。
その点、多くのプロ農家って本当にすごい。この逆境の中、生き残っている農家はスーパー農家だ。みなさん、知恵と技術を使って精力的に頑張っている。多岐にわたる大量の専門的な作業を見事に処理している。決して誰にでもできるというものではない。ちょっとぐうたらな私には、とてもとても真似ができない。
そんな時私を助けてくれたのは、農業は工業などと違って「食べ物を作っている」と言う事実だ。お金にしなくても、作っている農作物を食べたらそこそこ生きていけるというありがたい事実だ。またそれに必要な面積や労力はほんの少しでいいということも最初の5年でわかった。そらまめ農場はその頃から積極的に果敢に規模を縮小し、そこのところをとことん追求して、もう16年ほど前から独自のそらまめ農場路線を歩んでいる。未だに真似をしてくれる農家はほとんどいないが。
農業学校の皆さんにはできるだけわかりやすいようにと、パソコンを使って映像を多用してお話をした。でも来春卒業の将来を夢見るやる気満々の若人には、どんどん規模縮小をして、つつましく自分なりに豊かに生きるなんて、ちょっと夢のない話か。あくびも舟漕ぎも結構ちらほら。これこれ、講師先生のありがたいお話を居眠りせずに聞きなさい!
そらまめ農場ストーリーは、企業戦士であることに疲れたよれよれ中年サラリーマンの皆さんや脱サラ農業を目指す人達には結構共感していただいて、いつもそこそこ受けるのだが。
40分ほどの話を終えて、オマケで、そらまめ農場のLife in Canadaのお話をする。その途端、若者全員の視線が焼き付くように私に集中し始めた。う〜む、若者にはこれだな。これで釣らないと。
ピーすけ
2009.12.07
夜の訪問者

自宅のすぐ南側には果樹の植え込みが、そのすぐ向こう側には畑とビニールハウスがある。少し離れて東側には鶏小屋と豚小屋などの動物小屋があり、そのすぐそばに鶏の草場がある。そらまめ農場は本当に小さい。使っている農地などの面積すべてを合わせても、0.4ヘクタールほどしかない。農場と呼ぶのが恥ずかしいくらい。
しかし小さい農場には利点もある。どこにもさっと歩いて行けて、馬に乗る必要もない。すぐそばの動物の気配もよく分かるから、双眼鏡もいらない。姿の見えぬ妻の携帯電話を呼べば、呼び出し音が聞こえてくるから、どこに隠れていてもよく分かる。畑の野菜の出来も、2階の窓から見渡せる。
さてそんな小さい農場にも、当たり前だが毎日夜がやってくる。国道も県道もすぐ近くで、すぐそばに家は何軒かあるが、夜はほとんど自動車が通らないのでとても静かだ。国道や県道の街灯も、農場の中までは届かない。曇りの夜や月のない日には、本当に静かな闇に包まれる。そんな夜、ほんのり明るく暖かい家の中で静かに過ごすのはいいものだ。そして夜11時頃にはベッドに入って、静寂に包まれて眠る。
草木も眠る深夜、そんな静けさの中、鶏小屋の方から鶏の叫び声とざわつく物音が聞こえて来た。窓を締め切った2階の寝室まで届く。ごく小さいわずかな音だが、不思議なもので、そういう時は目が覚める。寝ていても家族を守るために周囲に気を配るオスの習性だろう。まだちゃんと、体に野生が残っているのだ。すこし頭をもたげて、目をつむったままで耳を澄ませて確認をする。確かに鶏の断末魔の声のようだ。腕時計のバックライトをつけて薄目で時計を見る。なんと午前3時だ。眠い。聞こえなかったふりをして布団に潜る。
一端寝たら熟睡するはずの、横のベッドで寝ている妻が珍しく目を覚まし、
「鶏が鳴いてるみたい」
と言って私を起こす。君にも聞こえてしまったか。私にも今聞こえたところだよ。がばっと起きる。男の務め。
パジャマの上にジャンパーを羽織って階下へ降りる。ドア脇の懐中電灯を持って、玄関にあったサンダルを引っかけて外へ出る。外は真っ暗だ。懐中電灯が照らす一部分だけがぼんやり闇に浮かぶ。周りは何も見えない。
その時、向こうの鶏小屋に獣の気配を感じた。同じ獣である男の勘だ。腰を落とし懐中電灯を消して、鶏小屋へそ〜っと向かう。時折聞こえる鶏の苦しそうなくぐもったうめき声に混じって、鶏小屋の一部が異様にざわついている。
漆黒の闇の中、大の大人の獣の男でも、見えぬものは怖い。背筋がゾク〜っとして鳥肌立つのがわかる。
暗くても勝手知ったる鶏小屋の、一番端っこにある照明用のスイッチのところに、息を殺し音を立てぬよう、抜き足差し足で至る。動物小屋の中央通路にある蛍光灯をこのスイッチで点けて、何者かの正体と蛮行を一気に暴くという作戦だ。手探りでスイッチに手を伸ばして押す。カチッ。あれっ?点灯しない。カチカチ。カチカチ。壊れているのか?なんでこんな時に限って・・・。先ほどよりも深い悪寒が、背筋をじわ〜っと走る。素足にひっかけたサンダルと薄いパジャマのズボンの下半身が頼りない。

こうなったら、武器は小さな懐中電灯一本しかない。それを手に、ざわつく鶏の部屋の方へ抜き足で進む。その時コトッと音がして、何かがさっと動いた気配がした。闇の中、姿は見えなくても気配は伝わってくる。懐中電灯をさっとそちらに向ける。何も見えない。鶏がいっそうざわつく。ちっ、逃げられたか。
突然背後でがたんと大きな音がして、
「ブッギャーッ」
ととんでもない大きな叫び声が静寂を切り裂いた。その叫び声にびっくりして思わず体が跳び上がる。大の大人の獣の男も半分腰が抜ける。
その闇をつん裂く断末魔の叫びは、忍び寄る私の気配に気づいて驚いて飛び起きた豚小屋の、2匹の豚の悲鳴であった。図体がでかい割に臆病で、相当びっくりしたようだが、獣の男はそれ以上にびっくりした。心臓が止まるかと思ったぞ。臆病者2匹の間抜け顔を懐中電灯で確認して、すこし緊張がゆるむ。

それでも今はまだ深夜。私に怖いものなど何も無いが、このあと寝付きが悪くなってはいけない。被害状況確認は明日明るくなってからにしよう。
寝室に戻って、
「獣は何か分からんかった。逃げたよ」
と寝ぼけ眼(まなこ)の妻を怖がらせぬよう、手短に報告する。一応男の義務は果たした。再び寝る。
農場には、こういう招かざる深夜の訪問者や事件が多々ある。人並みはずれた強靱な精神力が必要だ。農業をしよう、動物を飼おう、農場を経営しようなどと軽々しく考えているあなたは、是非心されたい。
ピーすけ
2009.11.30
消化吸収訓練(?)説

そらまめ農場の鶏の餌には、小麦とくず米、米ぬか、魚粉、大豆、かきがらなど国産のものが、季節と鶏の日齢に応じ、内容や割合を変えて自家配合してある。20年鶏を飼ってきてもう100回ほどひよこを成鶏(大人の鶏)に育ててきたが、良く分からずに、また勝手な思い込みで作った餌を与えて、いろいろかわいそうなこともした。
そんなふうにいろいろ試行錯誤をやってきたが、それでもまだまだ完璧な餌だとは言い難い。とてもうまく飼育できるときもあるし、未だにうまくいかない事もある。ヒナの日齢や状態、季節や気候などにより本当にケースバイケースで、これはいいあれは悪いと簡単に決めつけられるほど単純ではない。長い間いろいろな餌を配合して与えつつ育ててみて、いろいろ考えさせられることもある。
北海道で鶏を飼っている知り合いを尋ねたときのこと、お互い似た配合の餌であるものの、小麦の与え方が違っていた。彼は小麦をローラーの付いた機械に入れて、完全に押しつぶしてから餌に混ぜて鶏に与えているのだ。

小麦はとても堅い表皮に覆われている。彼が言うには、小麦をつぶして砕いて与えないと、その多くが、全く消化されずに鶏糞にそのままの形で出てくるという。
「鶏飼いの常識でしょう」
とも言われた。返す言葉もなかった。家に帰ってただちに鶏糞を調べてみた。
ところが、鶏小屋の中へ入って床を探しても、落ちたばかりの柔らかい鶏糞の中にも小麦の粒は無かった。鶏を肉にするときに、砂ずり(胃袋)の中も開いて調べてみた。いつもの通り、未消化の粒のままの小麦が少しふやけてどっさり入っていたが、さらに砂ずりに続く腸を切り開いていって調べてみると、なんとそこに小麦の粒はひとつもなかった。胃袋でこなれた小麦のみが腸に向かい、腸内では、小麦は堅い表皮もろとも完全に消化されていたのだ。
北海道の彼の鶏とどこが違うのか考えてみて、思い当たることがあった。彼は、育雛場(ひなを育てて販売する業者)から、生後30日まで粉末状の餌で育てられた中びなを買って育てていたのだ。私の所は生まれてすぐのひよこの時から、自分の所で堅い小麦で育てている。
彼の所の鶏には、小麦の皮を消化する能力が備わっていないのではないだろうか。ひなの時から食べていないものは、食べたからといって容易に消化できないのではないか。
今年から国産大豆を蒸して、それを鶏に与え始めた。魚粉(いわし粉末)で与えているタンパク質のいくらかを減らして、植物性のタンパクに少しずつ置き替えつつある。今よりも多様性のある餌を与えて健康に、そしてお菓子作りにも適した卵を産んでもらおうと研究中だ。

そらまめ農場には、生まれてすぐのひなから生後1年半を超える鶏まで、日齢の違う8群の鶏たちがいる。新しいひよこには最初から大豆がたくさん入った餌を与えるが、その他の群の鶏には最初は大豆を少しだけにして、毎月その量をすこしずつ増やしていく。餌の切り替えはなかなか難しいので、タンパク質やカロリーを細かく計算して1年以上を掛けて切り替えをしていく。
卵から孵ったばかりのひよこたちや若いひな鶏は、その新しい餌を完全に受け入れてくれる。これまでより育ちもいいようだ。一方、食べ慣れた餌が途中から変わる年齢の高い鶏たちには問題が起こる。タンパク質摂取量不足時に起こる症状である「毛食い」-他の鶏の羽根(タンパク質が多い)を突いて食べる-が起こるのだ。大豆は挽き割って、さらに加熱して消化しやすくしてあるし、タンパク質は十分足りているはずなのに。年齢の高い鶏は、大豆を食べてはいるけれども、大豆に含まれているタンパク質をうまく吸収できていないのではないか。
鶏の餌と鶏のことだけですべての結論を導き出そうとは思わないが、例えばこれを人間に置き換えて考えてみる。人間の赤ん坊は、母乳から離乳食へと新しい食べ物に少しずつ慣れていく。もちろんこれは栄養を摂取するためであるが、実はこれはそれだけではなく、将来食べるものに対しての大切な消化吸収訓練でもあるのではないだろうか。
そして子供の頃からの訓練の量や仕方によって、大人になってからの消化吸収能力には大きな個人差が出来るのではないか。極端な場合には、大人になってこれまで食べたことのないものを食べたときには、体調不良や消化不良を起こすこともあるのではないか。そう言えば、ひなの時から草を与えないと大きくなっもて草を食べない鶏になるが、これは草に対する好き嫌いだけではなく、草を消化吸収しにくい鶏になってしまっているからかも知れない。

生まれたてのひなを果樹園に出したら、土や昆虫やミミズ、落ち葉や草、カビのようなものまで、口に入る物はことごとくあれこれついばんで食べる。大丈夫かなと心配もする。でもそれはきっとひなの体の欲するものであり、生きていくための訓練でもあり、それが自然のしくみなのだろう。
何百万年もいろんなものを食べ続けることによって幸いにも種を維持してきた人類にとっても、幼いときからいろいろな食べ物をまんべんなく適量を食べることは、生き抜いていく体を作るための重要な消化吸収訓練なのではないか。食べるものの質にはこだわりたいが、そうやって食べていくことは、生きる意欲の現われで自然なことではないかと、鶏やひよこを見ていて思う。
ピーすけ
2009.11.23
草刈り

永らく留守にしていたので、田んぼの広い法(のり)面にどっさりススキが生えた。放置している間にあれよあれよと伸びていく草の丈は、後悔の大きさに正比例する。今日は遅ればせながら、重い腰を上げて草刈り。

まず長靴を履く。草刈り機で足を刈っては洒落にならない。というより、すごく痛いに決まっている。けがの多い私は、防弾チョッキにも使われるケブラー繊維で出来たスパイク付きのゴム長靴を履く。これには草刈り機の刃も歯が立たない。暑い夏には草むらのまむしの攻撃からも足を守ってくれるし、傾斜面を刈る時に踏ん張りも利く。値段は普通の長靴の3〜4倍ほどするが、破れないのでそれ以上に長持ちする。私はもう10年以上使っている。ずいぶんお得。軍手を手に、草刈りの武器でもある草刈り機置き場へ向かう。

草刈り機は各種どっさりある。故障して捨てられた草刈り機を友人が持ってきてくれるので、趣味で次々修理する。腕がいいのでほとんど直る。しかし草刈り機がたくさんあるからといって草刈りが好きな訳でも、草刈りが好きだからたくさん機械を揃えている訳でもない。妻は捨てろと言う。

今回選んだ草刈り機は三台、それぞれ燃料タンクを満タンにして軽トラックに積んで運ぶ。平坦地や傾斜地など、場所に応じて肩掛け式や手持ち式など、使いやすく疲れにくいものを選んで使い分ける。

草刈り機と一緒に持って行ったのはこの刈り刃。錆びていると侮る無かれ。これらのほとんどは、使い古されて捨てられたチップソー(堅い特殊鋼を刃先に埋め込んだ良く切れる刈り刃)を工夫して研磨加工し再生した、そらまめ農場特製刈り刃だ。これが驚くほど切れる。刃の形状は笹刃という。切れ味が落ちかけたと感じたら、ただちに取り替えて使う。

かくして、堅いススキを比較的短時間で刈ることが出来た。それにしても草刈りはしんどい。

帰宅してからは、次回に備えて刀研ぎをする。こういう仕事は好きだ。
この手作り笹刃は、市販の高価なチップソーよりも遙かによく切れる。堅いススキも、絹のスカーフを日本刀でなで切るがごとし。刈るときの抵抗も草が刃に巻き付くこともなく、さらりと切れていく。決して草を逃がさぬ刃の形状と、その刃数の多さがものを言う。エンジン回転数を上げなくても切れる。刈っていて軽快で、力を入れて機械を振り回さなくてもいいから、持っている草刈り機を軽く感じられる。疲れも少ない。これが、刈り刃を工夫する理由だ。
いいことや好きなことはもちろんだが、嫌なことはしたくないというのも、仕事や発明工夫の立派な動機付けになるという良き例。これで草刈り好きになれたら、もっといいのだけれど。
一枚研ぐのに十分ほどかかる。すこし慣れも必要だから、お金はないが時間は十分あるという人向き。もちろん自己責任で。お金があって時間がなくて、しかも淡々と仕事に向かうことの出来る人はチップソーの方がいい。その刃(チップ)が欠けて使い物にならなくなったら、私に下さい。
ピーすけ
2009.11.16
無花果(いちじく)

無花果(いちじく)の苗木を買った。カナダ人と結婚をして今はカナダに住むKさんがちょうど我家に遊びに来てくれたので、一緒に庭に記念植樹した。
数年前に、Kさんの住むカナダのS島の南部にある農場を見に行った。広大な敷地の一部にぽつりぽつりと畑があり、果樹も広々と植えてあった。ちまちまと土地を利用する我がそらまめ農場と違って、カナダの農場の土地の使い方は本当に贅沢だ。そらまめ農場の10倍以上の広さの土地に、そらまめ農場と変わらぬ程度の広さの畑や果樹園だけを持つ農場も多くて、うらやましい限りである。残りの土地は芝生が植えてあったり、大きな木の木陰にベンチやパーティー用のテーブルが置いてあったりもする。
そんなゆったりした農場に、無花果の木が何本か植えてあった。農場で働く女性が、その無花果をひとつ採って私にくれた。果実は柔らかくて、果皮はとても薄かった。私が皮をむいて食べようとしたら、その女性が、そのまま食べられると教えてくれた。
うまい。溶けるような薄皮で、そのまま食べても全く歯に当たらない。皮ごと食べているように思えない。果肉はよく熟してとても甘く、まるで木に成ったジャムのようだ。日本で子供の頃から食べていた無花果とはずいぶん感じが違う。知らなかった。こちらではこれが、いわゆる「普通」の無花果だったのだ。所変われば「普通」も、ほんとうにいろいろあるな。

そういうこともあり、苗木を見るときにはいつも気にしていたのだが、先日、カナダの物と同じように皮ごと食べられるという無花果の苗木を見つけた。皮ごと、という言葉に惹かれて躊躇なく買った。タグに付いている無花果の写真は、ふくよかで柔らかそうでおいしそうだ。ちょうどカナダから来たKさんと一緒に植えることが出来たのもおもしろい。「Kさんお手植えの無花果」として、末永くそらまめ農場の歴史に残るかな。
無花果は、小さい果実から大きく育っていくときに、果実の先端のおへその部分に毎日スポイトで食用油をつけてやる。そうすると、裂果せずにどんどん柔らかく大きく育っていく。案外知られていない本当の話。私は子供の頃から、学校に行く前に、自宅の無花果のひとつひとつの実に油をつけるのが日課だった。そんな「いちじく少年」だったから、今はこの木が大きくなっていくのがとても楽しみだ。再来年くらいには、一番果を期待したいな。
ピーすけ
2009.11.09
鶏肉

30羽の鶏を肉にした。卵を販売して生計を立てるということもさることながら、そもそもは鶏を飼うと卵も鶏肉も食べられると思い始めた養鶏なので、卵の産みの落ちた鶏は自分たちで処理して肉にして食べる。
ふつう養鶏場は、産卵の落ちた鶏を処理場に販売する。販売するとはいえ、ほとんどの場合は無料であったり、鶏肉の相場が安い時には逆に処理費用として追銭が必要なこともある。ブロイラーは生後わずか60日で肉になるが、産卵用の鶏は生後400〜500日ほど経過しているのでそれなりに肉も固く、解体業者の方もその肉をあまり高く売ることは出来ないようだ。
養鶏場は、次の鶏を飼うために古くなった鶏を処分して飼育場所を空けねばならず、無料でもいいからそれらを処理場で処分してもらわないと商売にならない。だから少々費用が必要でも、とにかく引き取ってもらわなければならない。そういう事情もあるから、価格交渉もむつかしい。近頃は小口の養鶏場の鶏を引き受けてくれる小さな処理場や業者が激減していて、養鶏農家の多くは自宅で鶏を解体していないので、その処分に結構苦労をしているようだ。
そらまめ農場の鶏肉もちょっと固い肉ではあるが、とてもおいしい鶏肉だ。噛んでも噛んでもうまみがあって、この肉に慣れると、ブロイラーも、またそれよりも40〜60日余分に飼育したちょっと高値で売られている鶏肉をも味気なく感じる。普通に焼いたり煮たりするとすこし堅いが、実は使いようで、素晴らしく芳ばしいおいしい肉なのだ。炊き込みご飯の具にすると、醤油の味が染みた細切れの鶏肉に歯ごたえがありうまみもあって、ついついおかわりをしてしまう。カレーやシチューなどに煮込むと柔らかくはなるが、それでも形も味もしっかりしていておいしい。
餌に薬品や添加物等を全く使用していないので、焼いても煮ても、嫌な臭いや臭みは全くない。古くなった鶏は廃鶏とも言われるが、ちゃんと飼育したら、実は肉の味も格別なのだ。私はこの肉を二度揚げした唐揚げが好物だが、4時間かけてダッチオーブンで焼いたローストチキンもうまい。肉がほろほろと崩れていくほど煮込んだ丸鶏のおかゆも、しっかり肉にうまみが残っていてなかなかいい。

さらにミンチ肉にすると、とても使いやすい。もも肉や胸肉を皮ごとミンチにする。鶏肉は脂も少なく、ミンチにしても適度な弾力が残っていて、ミンチボールやハンバーグなどにするとかえってしっかりと個性がありおいしい。鶏肉は牛肉や豚肉よりもうまみ成分が多いそうで、餃子の具にもとてもいい。
ここまでいいことづくめでおいしいと書いて、実は非売品だ。販売するための資格も許可も取っていないので売ることが出来ない。申し訳ない。せめて焼き鳥の芳ばしい香りでも・・・。
ピーすけ
2009.11.02
駒の尾山

秋の一日、岡山県北東部の駒の尾山へ登った。標高1280mではあるが、約7合目付近までは林道が整備されていて自動車で登れる。岡山県で三番目に高い山だそうだが、とても手頃な山だ。里はまだ紅葉には少し早い感じだが、さすがに標高500mを超えだすと、くすんだ紅葉に混じって、鮮やかな黄色や赤色の葉の木々が目を惹き付ける。落ち葉の絨毯を歩くのも楽しい。私たちも紅葉を愛(め)でることが出来る年齢になれたかと、嬉しくもあるが、すこし寂しくもある。
一生山登りはしないと断言していた妻も、昨年友人のYさんに、カナダウィスラーのジョフリーレイクの氷河に連れて行ってもらったことで感動し自信をつけて、以来私と一緒に山に登りだした。今年はもう、二人でずいぶんたくさんの山に登った。そう言う私は決して登山家などではなくて、これまで度々計画はしていたが、妻が行かないから長い間すっかりご無沙汰していた。だから今は、とても嬉しい。これまでは、登山やハイキングやキャンプの道具などを揃える事に対しても、何となく妻に遠慮があったが、今では大手を振って手に入れることが出来るのでいっそう嬉しい。二人で登山靴も買った。

私の登山の装備は、ストック2本、雨具、救急セット、防寒用銀フィルム、ダウンジャケット、ツエルト(緊急用テント)、懐中電灯と予備電池、カヤッカーのTさんにもらった本格的非常連絡灯(10km先までSOSの光信号が届く)、方位磁石、ラジオ、超軽量アルコールストーブと燃料、コッフェル(鍋)、やかん、カップ、それにお茶と水、非常食とコーヒー豆などだ。冬にはアイゼン(滑り止め)も携行する。地図は携帯電話に画像で入れて行く。まさかの遭難に備えて、ほんのちょっとした山やハイキングでも、これらを必ず持って行く。私はとても用心深い。何があっても絶対に生きて帰るつもりだ。さらにこれに二人分の弁当が加わる。だから私の荷物はいつも重い。妻は手ぶら。
山にはゆっくりゆっくり登る。何度も何度も休む。完璧なマイペースだ。それでもちゃんと頂上に到達出来るから嬉しい。しんどいだけのように思える山登りだが、山登りにはいっぱい魅力がある。
黙々と一歩一歩山に登ることが、土に向かう畑仕事と同じく、日常の些末な出来事を忘れさせてくれて、気持ちが澄んでいく。自分の足で自力で登ることによって得られる達成感や満足感もある。健やかに老いたいという気持ちに向けて、体力維持のために頑張りましたというささやかな満足感もある。きれいな空気も、景色を見渡しながら頂上で食べる弁当も、お湯を沸かして淹れる珈琲も格別においしい。
そして私が感じる大きな魅力は、人の住む下界との隔絶感だ。自分たちの住む世界を見下ろす感覚は、普段なかなか得られないものだが、登山は、つい普段平面的な視野のみに陥りがちな頭の中を立体的にしてくれる。宇宙から地球を眺めた多くの宇宙飛行士が、人生観が大きく変わったと報告しているから、私たちも時には日常を離れて、せめて鳥のように、自分や周りを俯瞰(ふかん)してみることも必要だろう。これは里にいては、出来そうで、なぜかなかなか難しい。

岡山県最高峰は、駒の尾山から尾根伝いに約3Kmのところの後山で、標高は1344mだ。駒ノ尾山の頂上からすぐ向こうに見えた。妻を誘ったが、妻は聞こえなかったふりをしてさっさと山を降りた。次回のお楽しみか。是非本格的にテントを持って、この辺りの山々を数日掛けてゆっくり縦走してみたい。気持ちも落ち着くだろうな。その前に、妻を説得するというすこし高い山に登らなければならないか。
ピーすけ
2009.10.26
柿食えば

柿の実る季節となった。田舎ではごくありふれた秋の光景だ。もう少し秋が深まると、柿の実が熟して、ぽたぽたと落ち始める。都会の人は、食べずに放置されただただ落ちていく柿を見て勿体ないと言うが、田舎に住む人たちは、ほとんどそれを気にしていない。
柿は、田舎ではありふれたおやつであり、私たちも子供の頃、他家の柿の木に実る柿も取って食べた。ほとんど放置してあるから、取って食べたからと言って叱られるわけでもなく、そのため子供たちは、どこの家の柿が渋柿でどこのが甘いかも熟知していた。
ありふれてはいるが、柿は大好きな果物のひとつだ。堅めの柿の皮をむいて櫛形に切って食べるとなかなか上品な味がするし、サラダに入れてもいい。千切りの柿や大根、人参などををあわせ酢であえた柿なますも好きで、想像するだけで唾液が出てきそうだ。熟柿を冷凍しておいて、半解凍の時にスプーンですくって食べると、甘くて冷たい柿アイスにもなる。シナモンなどで香り付けした柿ジャムもおいしいし、白く粉を吹いたつるし柿も、冬の、寒いけれど暖かみのある家や部屋を思い出させてくれる。でもやっぱり、木からもぎ取って、シャツでごしごし拭いて皮ごと丸かじりするのが一番好きかな。
それほど田舎ではありふれた柿だが、もちろん都会ではありふれていない。スーパーや果物店の陳列棚では箱詰めできれいに並べられていて、当たり前のことだがちゃんと値段がつけられて売られている。大人になって街に出て、柿が売ってあるのを見てびっくりした。その柿をお金を出して買う人がいるのを見て、もっとびっくり仰天した。柿は、木に成っているのを取って食べるもので、買うものではないと思い込んでいたからだ。
三つ子の魂百まで、いやいやまだ百まではほど遠いが、やっぱり未だに柿はお金を出しては買えない。都会に住んでいたときも含めて、これまでに買ったことは一度もない。今は都会に住む娘も、
「柿といちじくと鶏肉と卵は買えない」
と笑って話す。子供の頃から家にふんだんにあったので、買うという発想が全く湧かない食材らしい。そらまめ農場で育った宿命か。私はキュウリもなすびも、ペットボトルのお茶も買えない。
そういう買えない食材がいっぱい増えたら、その時にはきっと、気楽に暮らしているのだろうなと思う。

ピーすけ
2009.10.19
中古車事情あれこれ

カナダでは、大学やバス停、喫茶店やレストラン、食料品の店頭など、人の集まるところには掲示板があることが多い。その掲示板には、様々な手作りのチラシが所狭しと貼られている。売ります、買いますといったものや、自分の技能や特技を列記し職業を求める個人的な求職チラシ、あるいは逆に庭師やベビーシッターなどを求める求人ものや、シェアハウスに一緒に住む人を探していますなどというのもある。映画や演劇、あるいはコンサートなどの開催を知らせるチラシもある。
このようなチラシの中で時々見かけるのが、中古車の買い手を探すチラシだ。こういうチラシの下部には、たいてい名前や電話番号が連記してあり、そのチラシに書かれた内容に関心を持った人が、そこの所をちぎり取って持って帰れるようになっている。簡単だけれども便利な方法だ。

さて写真の中古車は、1979年型のキャンピングバンで、なんと30年前の自動車だが、チラシには3000ドル、約30万円の値段が書かれている。日本でだったら、こんなに古い車はいくらキャンピング仕様であっても、こうやって買い手を探すまでにとっくにスクラップになっていると思うが、でもこちらではまだまだ現役で、値段も決して安くはない。
このように、中古車の価格はいつまでもなかなか下がらないのだが、その理由のひとつに、カナダには車検制度がないということがあると思う。自動車保険は強制だが、車検は受ける必要がない。もちろん整備不良の自動車を運転して事故を起こしたら、それは自己責任だから注意が必要だが、しかし古い自動車も、動きさえすればまだまだ現役で、動く限りはスクラップにならないから、市場に出回り買い手が付く。つまり値段が付くということだ。日本でだったら、10〜13年程度経過した中古車は二束三文の値段かスクラップ行きだが、そんな車はカナダではまだまだ若い車で、その程度だったら、50万円から100万円を超える値段で取引されている。
余談だが、車検がないということは、改造も問題がないということのようで、様々な改造車を見かけることができて、それはそれで面白い。

(流木バンパーと手作りキャリヤ付きの車)

(後ろ半分を、おしゃれな木製ボディに改造したレトロな自動車)

(ボロクズワーゲン?)
もうひとつ、中古車の値段が下がらない理由には国民性があると思う。実質主義というか合理主義というか、とにかく動いて使える物はとことん使うという考え方の人が多いと思う。言い換えれば、人目を気にしない、あるいは我が道を行くという人が多いといってもいい。ちなみに私のカナダでの愛車は、友人に安く譲ってもらった1992年型の日産パスファインダー(日本名テラノ)で17年前の車だが、日本ではもうまず走っていない。でもカナダでは、ちょっと走れば、一日に何回かは同じ型式の車にすれ違うことが出来る。

(日本から右ハンドルのまま輸入された三菱デリカの中古車)
またカナダには、中古車の場合、15年を経過した車でないと輸入できないという法律があり、日本からはそれ以上前の古い自動車が、今ごろ輸入されている。三菱デリカはカナダでは新車販売はされていなかったようだが、初代のモデルが発売後15年経過したので数年前から輸入され始め、現在人気の新?中古車のひとつである。70〜100万円ほどの値がつけられている。

トラックと言えば、北米ではとてもでかいボンネットトラックが主流で軽トラックはないが、これも最近日本から15年以上前のものが輸入され始め、ちょくちょく町で見かけるようになった。

このカナダ人の運転する軽トラックは、富士重工のスバルサンバーで、このモデルは、もう日本では滅多に、いやまず見かけることがない。もう24年も前の軽トラックで、車体も現在の軽トラックに比べて一回り小さく、フロントマスクも可愛い。でもこんな車がまだ動いているなんてすごい!すごすぎる!・・・って、実はこれ、日本のそらまめ農場で今現在、私たちが使っている私たちの軽トラックだ。乗っているのは、カナダから遊びに来た友人。この車は昭和59年の生まれだが、今も立派に現役だ。後ろに写っている同じ型の軽トラックは、この車が故障した時のための部品取り用の車だ。
カナダには負けてまへんで〜!
ピーすけ
2009.10.12
月桂樹

庭に月桂樹がある。最初は小さい苗木だったが、放置していたにもかかわらず毎年着実に成長し、今では高さが6メートルを超える木に育った。
月桂樹、ベイ、ローリエやローレルなどその呼び名はいろいろだ。その枝で編み込んだリースは、古くはギリシャ・ローマ時代からの勝者たちの冠に使われてきたし、イギリスでは、優れた詩人には月桂樹がその称号として使われたという。濃緑の葉は艶がありしっかりとしていて冬も枯れ落ちることなく、樹の立ち姿も上へ向かってまっすぐで、月桂樹は、そこはかとなく気高さを感じさせてくれる木でもある。

葉には芳香成分が含まれており、すがすがしい香りがする。カレーやスープなどの煮込み料理にとてもいい香りをつけてくれる素晴らしいハーブでもある。二十歳代の頃、本格的なカレー作りに凝った。料理本で月桂樹の葉を香り付けに使うと知って、スーパーで乾燥した葉を買ってきて使い始めたのが月桂樹との出会いだった。何年か前に園芸店で苗木を見つけて、嬉しくなって、早速買って帰って植えた。我家に来られたお客さんも、庭のその樹があの月桂樹だとわかると、香りを楽しみつつ枝を折り取って、とても喜んで持ち帰られる。
ただ苗木を買ってきて植えて放置していただけなのだけれども、庭に月桂樹があるだけで、袋入りの月桂樹の葉をスーパーで買ってきて使うのとは、ずいぶんと趣が違ってくる。煮込み料理などに折り取って使うのはもちろんだが、台所に枝をつるして葉を乾燥させる様も絵になっていい。部屋に置いて、わずかにただよう香りを楽しむのもいい。お風呂に入れると、浴室にさわやかな香りが漂う。
苗木を植える事が面倒なことのようにも思えるが、これから育つ様子を思い浮かべつつ植えるのは、夢があって楽しいものだ。今では、いちいちスーパーに買いに行かなくても、必要なときに必要なだけ庭に出て葉を取り使うことが出来るから、かえって面倒から解放されているようでもある。それでいて、ずいぶんと生活を豊かに感じることが出来るから不思議なものだ。樹が年々育っていく様子も見ていて楽しい。
豊かさって、案外簡単に引き寄せることが出来て、それはほんの、些細なひと手間によるものなのかな。それも楽しいひと手間で。
ピーすけ
2009.10.05
ワンフィンガー

誕生日を祝ってもらった。仲のいいカナダ人の友人がパーティーを企画してくれて、友人の家に集まったのは全部カナダ人だった。この年で嬉しくもあり照れくさくもあって、出来たら人の集まりの時には端っこにいる方が落ち着く私は、どうしたらいいのか大いに戸惑った。英会話もまだまだ苦手だし。
話に聞いている人も多いと思うが、とにかくこちらはみんなパーティー好きだ。友人が出来たら、月に何度もパーティーに誘われると思っていい。次々と新しい知り合いや友人が出来ることもある。私は、パーティーが頻繁に催される大きな理由のひとつに、日本との社会の成り立ちの違いがあると思う。
S島にも、いくつかの町や村はあるが、単なる地名としての村とか町のようなものであって、自治組織ではない。生活共同体でもない。またこちらの人には、そこに住んでいる人々をひとまとめにして把握するという発想もない。全戸参加の集会もない。みんなが集まって、町や道路や河川の掃除をするということもまずない。
町や村は単なる住居表示に過ぎず、ほとんど社会やコミュニティとしては機能していない。人が出会う場ではないのだ。日本は今、過疎化や都市化などによって村社会が解体されていってはいるが、今なお学校や会社や職場が、いわば新たな村社会として機能し存続している。だから日本人は、このような、村を基本単位としないもうひとつの社会のあり方を、理解しにくいかも知れない。
ついでに言えば、カナダには戸籍も住民票もない。日本人なら、戸籍や住民票はあって当たり前だと思っているだろうけれど、実はそれがあるのは、世界で中国や台湾、韓国や日本くらいだそうだ。こちらの人はそれがないからといって不便だとは思っていないし、そもそもそういうシステムがこの世界にあることすら知らない。それがないと知って驚く日本人以上に、そんな仕組みの管理システムのことを聞いたら、もっともっと驚くに違いない。そんな社会だから、人と人を有機的に結びつけるパーティーは、社交の場として、とても重要な役割を果たしていると思う。
そう思って発想を変えて日本社会を見ると、日本でのいわゆるあたりまえの考え方や世の中の見方が、必ずしもあたりまえではないと気づけるから面白い。日本人って、管理したいだけでなく、管理されたがっているのかも知れない。管理されていないと不安なのかも。
バースデイパーティーでは、S島のあちこちから集まってきてくれた友人たちが芝生の庭に出て、はにかみつつ横たわる私を取り囲み、みんなからのバースデイプレゼントということで、私の体を指で持ち上げてくれた。それぞれの右手と左手の人差し指だけで、私を支えて持ち上げるのだ。これをワンフィンガーと言うらしい。

地面に横たわった私の体は、18本の人差し指で、ふわっと宙に持ち上がった。さらにそのまま、あちこちに運ばれる。人差し指で支えられるくらいだから、支えている人は、それほど重いと感じないらしい。面白いことに、持ち上げられている私は、みんなの指先によって点で支えられているので、体のどこかを持たれている感覚もなく、あたかもふわふわと宙に浮遊して移動しているように感じるのだ。
こちらの社会は、日本人から見ると、個人個人がばらばらのようだが、しかし実は、日本とは違う方法で少しづつみんなが支え合っていて、それが、支えていること支えられていることをあまり意識することなく成り立っているようで、興味深い。ちょうどこのワンフィンガーに似ている。
みんなとてもフレンドリーで、誕生パーティーをあれこれ悩むこともなかった。笑顔のみんなに持ち上げられて、とても嬉しかった。
ピーすけ
2009.09.28
ひよっこ

(ひよこを見て喜ぶひよっこたち)
卵から生れ出たばかりのひよこは、孵卵(ふらん)場から、ダンボールで出来た輸送箱でやってくる。生まれてすぐに輸送箱に詰められて送られるのだ。
ひよこは、生後二日間は飲まず食わずでも大丈夫だ。鶏は卵生なのでへそなどないのだが、実はひよこにはへそのような突起があり、それを中心にしてまん丸の黄身がぽっこりと残っている。二日間はその栄養と水分だけで生きられる。卵の黄身の部分全部が細胞分裂を繰り返して鶏になると思っていたが、どうやらそうではないらしい。
輸送箱の内部は四つに仕切られており、ひとつの仕切り内には25羽が入っていて、ひと箱では100羽が輸送できる。
輸送の間、37度以上の温度と適度な湿度、そして空気が必要だが、ひよこたちは、25羽が、ひとつの仕切りの中で押しくらまんじゅうのような状態で過ごすことにより、お互いの体温と呼吸によって、温度と湿度を保つ。夏の暑い時期の輸送時には、箱と蓋にある穴を多めに開けて調整してある。真冬だと、大方の穴は塞がれている。この輸送箱は、四隅が少し高く作ってあり、何段も重ねることも出来て、しかも空気の通りを妨げないようにしてある。簡単なダンボール箱だが、海外からの飛行機でのヒナの輸送も可能らしいから、とても良くできている。
さてやってきたひよこたちは、まず我家のひよっこたちと対面する。ひよっこたちにとってはとても嬉しい、逆にひよこにとっては恐怖の時間でもある。突然つまみ上げられ、頬ずりされ、仰向けにされ、脚だけを掴まれて宙づりの刑にも会う。やっとのことで逃げ出したひよこが、畳の上を走り回ることもある。私たち大人は大あわてだが、ひよっこたちは大喜びである。
その後ひよっこたちは、そのひよこが餌を食べて成長して卵を産み、そのあと、私たちの手によって肉にされるところも全部見る。ちょっと堅い鶏肉の唐揚げも、丸ままのローストチキンも、生レバーも喜んで食べる。ひよっこたちは、ひよこから食卓に登る鶏肉料理に至るまでの流れに、何の疑いも持っていないようだ。近々、ひよこが卵から孵化するところも見せてやらねば。
あれこれと、事象の一部分を切り取っては、何かと的外れな講釈を垂れる私たち大人よりも、ずっと大人な、ひよっこたちである。
ピーすけ