2009.11.23
草刈り

永らく留守にしていたので、田んぼの広い法(のり)面にどっさりススキが生えた。放置している間にあれよあれよと伸びていく草の丈は、後悔の大きさに正比例する。今日は遅ればせながら、重い腰を上げて草刈り。

まず長靴を履く。草刈り機で足を刈っては洒落にならない。というより、すごく痛いに決まっている。けがの多い私は、防弾チョッキにも使われるケブラー繊維で出来たスパイク付きのゴム長靴を履く。これには草刈り機の刃も歯が立たない。暑い夏には草むらのまむしの攻撃からも足を守ってくれるし、傾斜面を刈る時に踏ん張りも利く。値段は普通の長靴の3〜4倍ほどするが、破れないのでそれ以上に長持ちする。私はもう10年以上使っている。ずいぶんお得。軍手を手に、草刈りの武器でもある草刈り機置き場へ向かう。

草刈り機は各種どっさりある。故障して捨てられた草刈り機を友人が持ってきてくれるので、趣味で次々修理する。腕がいいのでほとんど直る。しかし草刈り機がたくさんあるからといって草刈りが好きな訳でも、草刈りが好きだからたくさん機械を揃えている訳でもない。妻は捨てろと言う。

今回選んだ草刈り機は三台、それぞれ燃料タンクを満タンにして軽トラックに積んで運ぶ。平坦地や傾斜地など、場所に応じて肩掛け式や手持ち式など、使いやすく疲れにくいものを選んで使い分ける。

草刈り機と一緒に持って行ったのはこの刈り刃。錆びていると侮る無かれ。これらのほとんどは、使い古されて捨てられたチップソー(堅い特殊鋼を刃先に埋め込んだ良く切れる刈り刃)を工夫して研磨加工し再生した、そらまめ農場特製刈り刃だ。これが驚くほど切れる。刃の形状は笹刃という。切れ味が落ちかけたと感じたら、ただちに取り替えて使う。

かくして、堅いススキを比較的短時間で刈ることが出来た。それにしても草刈りはしんどい。

帰宅してからは、次回に備えて刀研ぎをする。こういう仕事は好きだ。
この手作り笹刃は、市販の高価なチップソーよりも遙かによく切れる。堅いススキも、絹のスカーフを日本刀でなで切るがごとし。刈るときの抵抗も草が刃に巻き付くこともなく、さらりと切れていく。決して草を逃がさぬ刃の形状と、その刃数の多さがものを言う。エンジン回転数を上げなくても切れる。刈っていて軽快で、力を入れて機械を振り回さなくてもいいから、持っている草刈り機を軽く感じられる。疲れも少ない。これが、刈り刃を工夫する理由だ。
いいことや好きなことはもちろんだが、嫌なことはしたくないというのも、仕事や発明工夫の立派な動機付けになるという良き例。これで草刈り好きになれたら、もっといいのだけれど。
一枚研ぐのに十分ほどかかる。すこし慣れも必要だから、お金はないが時間は十分あるという人向き。もちろん自己責任で。お金があって時間がなくて、しかも淡々と仕事に向かうことの出来る人はチップソーの方がいい。その刃(チップ)が欠けて使い物にならなくなったら、私に下さい。
ピーすけ
2009.11.16
無花果(いちじく)

無花果(いちじく)の苗木を買った。カナダ人と結婚をして今はカナダに住むKさんがちょうど我家に遊びに来てくれたので、一緒に庭に記念植樹した。
数年前に、Kさんの住むカナダのS島の南部にある農場を見に行った。広大な敷地の一部にぽつりぽつりと畑があり、果樹も広々と植えてあった。ちまちまと土地を利用する我がそらまめ農場と違って、カナダの農場の土地の使い方は本当に贅沢だ。そらまめ農場の10倍以上の広さの土地に、そらまめ農場と変わらぬ程度の広さの畑や果樹園だけを持つ農場も多くて、うらやましい限りである。残りの土地は芝生が植えてあったり、大きな木の木陰にベンチやパーティー用のテーブルが置いてあったりもする。
そんなゆったりした農場に、無花果の木が何本か植えてあった。農場で働く女性が、その無花果をひとつ採って私にくれた。果実は柔らかくて、果皮はとても薄かった。私が皮をむいて食べようとしたら、その女性が、そのまま食べられると教えてくれた。
うまい。溶けるような薄皮で、そのまま食べても全く歯に当たらない。皮ごと食べているように思えない。果肉はよく熟してとても甘く、まるで木に成ったジャムのようだ。日本で子供の頃から食べていた無花果とはずいぶん感じが違う。知らなかった。こちらではこれが、いわゆる「普通」の無花果だったのだ。所変われば「普通」も、ほんとうにいろいろあるな。

そういうこともあり、苗木を見るときにはいつも気にしていたのだが、先日、カナダの物と同じように皮ごと食べられるという無花果の苗木を見つけた。皮ごと、という言葉に惹かれて躊躇なく買った。タグに付いている無花果の写真は、ふくよかで柔らかそうでおいしそうだ。ちょうどカナダから来たKさんと一緒に植えることが出来たのもおもしろい。「Kさんお手植えの無花果」として、末永くそらまめ農場の歴史に残るかな。
無花果は、小さい果実から大きく育っていくときに、果実の先端のおへその部分に毎日スポイトで食用油をつけてやる。そうすると、裂果せずにどんどん柔らかく大きく育っていく。案外知られていない本当の話。私は子供の頃から、学校に行く前に、自宅の無花果のひとつひとつの実に油をつけるのが日課だった。そんな「いちじく少年」だったから、今はこの木が大きくなっていくのがとても楽しみだ。再来年くらいには、一番果を期待したいな。
ピーすけ
2009.11.09
鶏肉

30羽の鶏を肉にした。卵を販売して生計を立てるということもさることながら、そもそもは鶏を飼うと卵も鶏肉も食べられると思い始めた養鶏なので、卵の産みの落ちた鶏は自分たちで処理して肉にして食べる。
ふつう養鶏場は、産卵の落ちた鶏を処理場に販売する。販売するとはいえ、ほとんどの場合は無料であったり、鶏肉の相場が安い時には逆に処理費用として追銭が必要なこともある。ブロイラーは生後わずか60日で肉になるが、産卵用の鶏は生後400〜500日ほど経過しているのでそれなりに肉も固く、解体業者の方もその肉をあまり高く売ることは出来ないようだ。
養鶏場は、次の鶏を飼うために古くなった鶏を処分して飼育場所を空けねばならず、無料でもいいからそれらを処理場で処分してもらわないと商売にならない。だから少々費用が必要でも、とにかく引き取ってもらわなければならない。そういう事情もあるから、価格交渉もむつかしい。近頃は小口の養鶏場の鶏を引き受けてくれる小さな処理場や業者が激減していて、養鶏農家の多くは自宅で鶏を解体していないので、その処分に結構苦労をしているようだ。
そらまめ農場の鶏肉もちょっと固い肉ではあるが、とてもおいしい鶏肉だ。噛んでも噛んでもうまみがあって、この肉に慣れると、ブロイラーも、またそれよりも40〜60日余分に飼育したちょっと高値で売られている鶏肉をも味気なく感じる。普通に焼いたり煮たりするとすこし堅いが、実は使いようで、素晴らしく芳ばしいおいしい肉なのだ。炊き込みご飯の具にすると、醤油の味が染みた細切れの鶏肉に歯ごたえがありうまみもあって、ついついおかわりをしてしまう。カレーやシチューなどに煮込むと柔らかくはなるが、それでも形も味もしっかりしていておいしい。
餌に薬品や添加物等を全く使用していないので、焼いても煮ても、嫌な臭いや臭みは全くない。古くなった鶏は廃鶏とも言われるが、ちゃんと飼育したら、実は肉の味も格別なのだ。私はこの肉を二度揚げした唐揚げが好物だが、4時間かけてダッチオーブンで焼いたローストチキンもうまい。肉がほろほろと崩れていくほど煮込んだ丸鶏のおかゆも、しっかり肉にうまみが残っていてなかなかいい。

さらにミンチ肉にすると、とても使いやすい。もも肉や胸肉を皮ごとミンチにする。鶏肉は脂も少なく、ミンチにしても適度な弾力が残っていて、ミンチボールやハンバーグなどにするとかえってしっかりと個性がありおいしい。鶏肉は牛肉や豚肉よりもうまみ成分が多いそうで、餃子の具にもとてもいい。
ここまでいいことづくめでおいしいと書いて、実は非売品だ。販売するための資格も許可も取っていないので売ることが出来ない。申し訳ない。せめて焼き鳥の芳ばしい香りでも・・・。
ピーすけ
2009.11.02
駒の尾山

秋の一日、岡山県北東部の駒の尾山へ登った。標高1280mではあるが、約7合目付近までは林道が整備されていて自動車で登れる。岡山県で三番目に高い山だそうだが、とても手頃な山だ。里はまだ紅葉には少し早い感じだが、さすがに標高500mを超えだすと、くすんだ紅葉に混じって、鮮やかな黄色や赤色の葉の木々が目を惹き付ける。落ち葉の絨毯を歩くのも楽しい。私たちも紅葉を愛(め)でることが出来る年齢になれたかと、嬉しくもあるが、すこし寂しくもある。
一生山登りはしないと断言していた妻も、昨年友人のYさんに、カナダウィスラーのジョフリーレイクの氷河に連れて行ってもらったことで感動し自信をつけて、以来私と一緒に山に登りだした。今年はもう、二人でずいぶんたくさんの山に登った。そう言う私は決して登山家などではなくて、これまで度々計画はしていたが、妻が行かないから長い間すっかりご無沙汰していた。だから今は、とても嬉しい。これまでは、登山やハイキングやキャンプの道具などを揃える事に対しても、何となく妻に遠慮があったが、今では大手を振って手に入れることが出来るのでいっそう嬉しい。二人で登山靴も買った。

私の登山の装備は、ストック2本、雨具、救急セット、防寒用銀フィルム、ダウンジャケット、ツエルト(緊急用テント)、懐中電灯と予備電池、カヤッカーのTさんにもらった本格的非常連絡灯(10km先までSOSの光信号が届く)、方位磁石、ラジオ、超軽量アルコールストーブと燃料、コッフェル(鍋)、やかん、カップ、それにお茶と水、非常食とコーヒー豆などだ。冬にはアイゼン(滑り止め)も携行する。地図は携帯電話に画像で入れて行く。まさかの遭難に備えて、ほんのちょっとした山やハイキングでも、これらを必ず持って行く。私はとても用心深い。何があっても絶対に生きて帰るつもりだ。さらにこれに二人分の弁当が加わる。だから私の荷物はいつも重い。妻は手ぶら。
山にはゆっくりゆっくり登る。何度も何度も休む。完璧なマイペースだ。それでもちゃんと頂上に到達出来るから嬉しい。しんどいだけのように思える山登りだが、山登りにはいっぱい魅力がある。
黙々と一歩一歩山に登ることが、土に向かう畑仕事と同じく、日常の些末な出来事を忘れさせてくれて、気持ちが澄んでいく。自分の足で自力で登ることによって得られる達成感や満足感もある。健やかに老いたいという気持ちに向けて、体力維持のために頑張りましたというささやかな満足感もある。きれいな空気も、景色を見渡しながら頂上で食べる弁当も、お湯を沸かして淹れる珈琲も格別においしい。
そして私が感じる大きな魅力は、人の住む下界との隔絶感だ。自分たちの住む世界を見下ろす感覚は、普段なかなか得られないものだが、登山は、つい普段平面的な視野のみに陥りがちな頭の中を立体的にしてくれる。宇宙から地球を眺めた多くの宇宙飛行士が、人生観が大きく変わったと報告しているから、私たちも時には日常を離れて、せめて鳥のように、自分や周りを俯瞰(ふかん)してみることも必要だろう。これは里にいては、出来そうで、なぜかなかなか難しい。

岡山県最高峰は、駒の尾山から尾根伝いに約3Kmのところの後山で、標高は1344mだ。駒ノ尾山の頂上からすぐ向こうに見えた。妻を誘ったが、妻は聞こえなかったふりをしてさっさと山を降りた。次回のお楽しみか。是非本格的にテントを持って、この辺りの山々を数日掛けてゆっくり縦走してみたい。気持ちも落ち着くだろうな。その前に、妻を説得するというすこし高い山に登らなければならないか。
ピーすけ
2009.10.26
柿食えば

柿の実る季節となった。田舎ではごくありふれた秋の光景だ。もう少し秋が深まると、柿の実が熟して、ぽたぽたと落ち始める。都会の人は、食べずに放置されただただ落ちていく柿を見て勿体ないと言うが、田舎に住む人たちは、ほとんどそれを気にしていない。
柿は、田舎ではありふれたおやつであり、私たちも子供の頃、他家の柿の木に実る柿も取って食べた。ほとんど放置してあるから、取って食べたからと言って叱られるわけでもなく、そのため子供たちは、どこの家の柿が渋柿でどこのが甘いかも熟知していた。
ありふれてはいるが、柿は大好きな果物のひとつだ。堅めの柿の皮をむいて櫛形に切って食べるとなかなか上品な味がするし、サラダに入れてもいい。千切りの柿や大根、人参などををあわせ酢であえた柿なますも好きで、想像するだけで唾液が出てきそうだ。熟柿を冷凍しておいて、半解凍の時にスプーンですくって食べると、甘くて冷たい柿アイスにもなる。シナモンなどで香り付けした柿ジャムもおいしいし、白く粉を吹いたつるし柿も、冬の、寒いけれど暖かみのある家や部屋を思い出させてくれる。でもやっぱり、木からもぎ取って、シャツでごしごし拭いて皮ごと丸かじりするのが一番好きかな。
それほど田舎ではありふれた柿だが、もちろん都会ではありふれていない。スーパーや果物店の陳列棚では箱詰めできれいに並べられていて、当たり前のことだがちゃんと値段がつけられて売られている。大人になって街に出て、柿が売ってあるのを見てびっくりした。その柿をお金を出して買う人がいるのを見て、もっとびっくり仰天した。柿は、木に成っているのを取って食べるもので、買うものではないと思い込んでいたからだ。
三つ子の魂百まで、いやいやまだ百まではほど遠いが、やっぱり未だに柿はお金を出しては買えない。都会に住んでいたときも含めて、これまでに買ったことは一度もない。今は都会に住む娘も、
「柿といちじくと鶏肉と卵は買えない」
と笑って話す。子供の頃から家にふんだんにあったので、買うという発想が全く湧かない食材らしい。そらまめ農場で育った宿命か。私はキュウリもなすびも、ペットボトルのお茶も買えない。
そういう買えない食材がいっぱい増えたら、その時にはきっと、気楽に暮らしているのだろうなと思う。

ピーすけ
2009.10.19
中古車事情あれこれ

カナダでは、大学やバス停、喫茶店やレストラン、食料品の店頭など、人の集まるところには掲示板があることが多い。その掲示板には、様々な手作りのチラシが所狭しと貼られている。売ります、買いますといったものや、自分の技能や特技を列記し職業を求める個人的な求職チラシ、あるいは逆に庭師やベビーシッターなどを求める求人ものや、シェアハウスに一緒に住む人を探していますなどというのもある。映画や演劇、あるいはコンサートなどの開催を知らせるチラシもある。
このようなチラシの中で時々見かけるのが、中古車の買い手を探すチラシだ。こういうチラシの下部には、たいてい名前や電話番号が連記してあり、そのチラシに書かれた内容に関心を持った人が、そこの所をちぎり取って持って帰れるようになっている。簡単だけれども便利な方法だ。

さて写真の中古車は、1979年型のキャンピングバンで、なんと30年前の自動車だが、チラシには3000ドル、約30万円の値段が書かれている。日本でだったら、こんなに古い車はいくらキャンピング仕様であっても、こうやって買い手を探すまでにとっくにスクラップになっていると思うが、でもこちらではまだまだ現役で、値段も決して安くはない。
このように、中古車の価格はいつまでもなかなか下がらないのだが、その理由のひとつに、カナダには車検制度がないということがあると思う。自動車保険は強制だが、車検は受ける必要がない。もちろん整備不良の自動車を運転して事故を起こしたら、それは自己責任だから注意が必要だが、しかし古い自動車も、動きさえすればまだまだ現役で、動く限りはスクラップにならないから、市場に出回り買い手が付く。つまり値段が付くということだ。日本でだったら、10〜13年程度経過した中古車は二束三文の値段かスクラップ行きだが、そんな車はカナダではまだまだ若い車で、その程度だったら、50万円から100万円を超える値段で取引されている。
余談だが、車検がないということは、改造も問題がないということのようで、様々な改造車を見かけることができて、それはそれで面白い。

(流木バンパーと手作りキャリヤ付きの車)

(後ろ半分を、おしゃれな木製ボディに改造したレトロな自動車)

(ボロクズワーゲン?)
もうひとつ、中古車の値段が下がらない理由には国民性があると思う。実質主義というか合理主義というか、とにかく動いて使える物はとことん使うという考え方の人が多いと思う。言い換えれば、人目を気にしない、あるいは我が道を行くという人が多いといってもいい。ちなみに私のカナダでの愛車は、友人に安く譲ってもらった1992年型の日産パスファインダー(日本名テラノ)で17年前の車だが、日本ではもうまず走っていない。でもカナダでは、ちょっと走れば、一日に何回かは同じ型式の車にすれ違うことが出来る。

(日本から左ハンドルのまま輸入された三菱デリカの中古車)
またカナダには、中古車の場合、15年を経過した車でないと輸入できないという法律があり、日本からはそれ以上前の古い自動車が、今ごろ輸入されている。三菱デリカはカナダでは新車販売はされていなかったようだが、初代のモデルが発売後15年経過したので数年前から輸入され始め、現在人気の新?中古車のひとつである。70〜100万円ほどの値がつけられている。

トラックと言えば、北米ではとてもでかいボンネットトラックが主流で軽トラックはないが、これも最近日本から15年以上前のものが輸入され始め、ちょくちょく町で見かけるようになった。

このカナダ人の運転する軽トラックは、富士重工のスバルサンバーで、このモデルは、もう日本では滅多に、いやまず見かけることがない。もう24年も前の軽トラックで、車体も現在の軽トラックに比べて一回り小さく、フロントマスクも可愛い。でもこんな車がまだ動いているなんてすごい!すごすぎる!・・・って、実はこれ、日本のそらまめ農場で今現在、私たちが使っている私たちの軽トラックだ。乗っているのは、カナダから遊びに来た友人。この車は昭和59年の生まれだが、今も立派に現役だ。後ろに写っている同じ型の軽トラックは、この車が故障した時のための部品取り用の車だ。
カナダには負けてまへんで〜!
ピーすけ
2009.10.12
月桂樹

庭に月桂樹がある。最初は小さい苗木だったが、放置していたにもかかわらず毎年着実に成長し、今では高さが6メートルを超える木に育った。
月桂樹、ベイ、ローリエやローレルなどその呼び名はいろいろだ。その枝で編み込んだリースは、古くはギリシャ・ローマ時代からの勝者たちの冠に使われてきたし、イギリスでは、優れた詩人には月桂樹がその称号として使われたという。濃緑の葉は艶がありしっかりとしていて冬も枯れ落ちることなく、樹の立ち姿も上へ向かってまっすぐで、月桂樹は、そこはかとなく気高さを感じさせてくれる木でもある。

葉には芳香成分が含まれており、すがすがしい香りがする。カレーやスープなどの煮込み料理にとてもいい香りをつけてくれる素晴らしいハーブでもある。二十歳代の頃、本格的なカレー作りに凝った。料理本で月桂樹の葉を香り付けに使うと知って、スーパーで乾燥した葉を買ってきて使い始めたのが月桂樹との出会いだった。何年か前に園芸店で苗木を見つけて、嬉しくなって、早速買って帰って植えた。我家に来られたお客さんも、庭のその樹があの月桂樹だとわかると、香りを楽しみつつ枝を折り取って、とても喜んで持ち帰られる。
ただ苗木を買ってきて植えて放置していただけなのだけれども、庭に月桂樹があるだけで、袋入りの月桂樹の葉をスーパーで買ってきて使うのとは、ずいぶんと趣が違ってくる。煮込み料理などに折り取って使うのはもちろんだが、台所に枝をつるして葉を乾燥させる様も絵になっていい。部屋に置いて、わずかにただよう香りを楽しむのもいい。お風呂に入れると、浴室にさわやかな香りが漂う。
苗木を植える事が面倒なことのようにも思えるが、これから育つ様子を思い浮かべつつ植えるのは、夢があって楽しいものだ。今では、いちいちスーパーに買いに行かなくても、必要なときに必要なだけ庭に出て葉を取り使うことが出来るから、かえって面倒から解放されているようでもある。それでいて、ずいぶんと生活を豊かに感じることが出来るから不思議なものだ。樹が年々育っていく様子も見ていて楽しい。
豊かさって、案外簡単に引き寄せることが出来て、それはほんの、些細なひと手間によるものなのかな。それも楽しいひと手間で。
ピーすけ
2009.10.05
ワンフィンガー

誕生日を祝ってもらった。仲のいいカナダ人の友人がパーティーを企画してくれて、友人の家に集まったのは全部カナダ人だった。この年で嬉しくもあり照れくさくもあって、出来たら人の集まりの時には端っこにいる方が落ち着く私は、どうしたらいいのか大いに戸惑った。英会話もまだまだ苦手だし。
話に聞いている人も多いと思うが、とにかくこちらはみんなパーティー好きだ。友人が出来たら、月に何度もパーティーに誘われると思っていい。次々と新しい知り合いや友人が出来ることもある。私は、パーティーが頻繁に催される大きな理由のひとつに、日本との社会の成り立ちの違いがあると思う。
S島にも、いくつかの町や村はあるが、単なる地名としての村とか町のようなものであって、自治組織ではない。生活共同体でもない。またこちらの人には、そこに住んでいる人々をひとまとめにして把握するという発想もない。全戸参加の集会もない。みんなが集まって、町や道路や河川の掃除をするということもまずない。
町や村は単なる住居表示に過ぎず、ほとんど社会やコミュニティとしては機能していない。人が出会う場ではないのだ。日本は今、過疎化や都市化などによって村社会が解体されていってはいるが、今なお学校や会社や職場が、いわば新たな村社会として機能し存続している。だから日本人は、このような、村を基本単位としないもうひとつの社会のあり方を、理解しにくいかも知れない。
ついでに言えば、カナダには戸籍も住民票もない。日本人なら、戸籍や住民票はあって当たり前だと思っているだろうけれど、実はそれがあるのは、世界で中国や台湾、韓国や日本くらいだそうだ。こちらの人はそれがないからといって不便だとは思っていないし、そもそもそういうシステムがこの世界にあることすら知らない。それがないと知って驚く日本人以上に、そんな仕組みの管理システムのことを聞いたら、もっともっと驚くに違いない。そんな社会だから、人と人を有機的に結びつけるパーティーは、社交の場として、とても重要な役割を果たしていると思う。
そう思って発想を変えて日本社会を見ると、日本でのいわゆるあたりまえの考え方や世の中の見方が、必ずしもあたりまえではないと気づけるから面白い。日本人って、管理したいだけでなく、管理されたがっているのかも知れない。管理されていないと不安なのかも。
バースデイパーティーでは、S島のあちこちから集まってきてくれた友人たちが芝生の庭に出て、はにかみつつ横たわる私を取り囲み、みんなからのバースデイプレゼントということで、私の体を指で持ち上げてくれた。それぞれの右手と左手の人差し指だけで、私を支えて持ち上げるのだ。これをワンフィンガーと言うらしい。

地面に横たわった私の体は、18本の人差し指で、ふわっと宙に持ち上がった。さらにそのまま、あちこちに運ばれる。人差し指で支えられるくらいだから、支えている人は、それほど重いと感じないらしい。面白いことに、持ち上げられている私は、みんなの指先によって点で支えられているので、体のどこかを持たれている感覚もなく、あたかもふわふわと宙に浮遊して移動しているように感じるのだ。
こちらの社会は、日本人から見ると、個人個人がばらばらのようだが、しかし実は、日本とは違う方法で少しづつみんなが支え合っていて、それが、支えていること支えられていることをあまり意識することなく成り立っているようで、興味深い。ちょうどこのワンフィンガーに似ている。
みんなとてもフレンドリーで、誕生パーティーをあれこれ悩むこともなかった。笑顔のみんなに持ち上げられて、とても嬉しかった。
ピーすけ
2009.09.28
ひよっこ

(ひよこを見て喜ぶひよっこたち)
卵から生れ出たばかりのひよこは、孵卵(ふらん)場から、ダンボールで出来た輸送箱でやってくる。生まれてすぐに輸送箱に詰められて送られるのだ。
ひよこは、生後二日間は飲まず食わずでも大丈夫だ。鶏は卵生なのでへそなどないのだが、実はひよこにはへそのような突起があり、それを中心にしてまん丸の黄身がぽっこりと残っている。二日間はその栄養と水分だけで生きられる。卵の黄身の部分全部が細胞分裂を繰り返して鶏になると思っていたが、どうやらそうではないらしい。
輸送箱の内部は四つに仕切られており、ひとつの仕切り内には25羽が入っていて、ひと箱では100羽が輸送できる。
輸送の間、37度以上の温度と適度な湿度、そして空気が必要だが、ひよこたちは、25羽が、ひとつの仕切りの中で押しくらまんじゅうのような状態で過ごすことにより、お互いの体温と呼吸によって、温度と湿度を保つ。夏の暑い時期の輸送時には、箱と蓋にある穴を多めに開けて調整してある。真冬だと、大方の穴は塞がれている。この輸送箱は、四隅が少し高く作ってあり、何段も重ねることも出来て、しかも空気の通りを妨げないようにしてある。簡単なダンボール箱だが、海外からの飛行機でのヒナの輸送も可能らしいから、とても良くできている。
さてやってきたひよこたちは、まず我家のひよっこたちと対面する。ひよっこたちにとってはとても嬉しい、逆にひよこにとっては恐怖の時間でもある。突然つまみ上げられ、頬ずりされ、仰向けにされ、脚だけを掴まれて宙づりの刑にも会う。やっとのことで逃げ出したひよこが、畳の上を走り回ることもある。私たち大人は大あわてだが、ひよっこたちは大喜びである。
その後ひよっこたちは、そのひよこが餌を食べて成長して卵を産み、そのあと、私たちの手によって肉にされるところも全部見る。ちょっと堅い鶏肉の唐揚げも、丸ままのローストチキンも、生レバーも喜んで食べる。ひよっこたちは、ひよこから食卓に登る鶏肉料理に至るまでの流れに、何の疑いも持っていないようだ。近々、ひよこが卵から孵化するところも見せてやらねば。
あれこれと、事象の一部分を切り取っては、何かと的外れな講釈を垂れる私たち大人よりも、ずっと大人な、ひよっこたちである。
ピーすけ
2009.09.21
自給自足スパイラル その3 錬金術 その2

(自給自足スパイラル その3 錬金術 その1よりのつづき)
そもそもお金って、紙切れなのだ。1万円札を作るのにかかる実際の費用は、わずか16円らしい。それを1万円の値打ちがあるとあなたが信用しているから、その値打ちがあるのだ。もし私が紙幣を精巧に偽造して、それを誰もが偽造紙幣と気づかなかったら、それも1万円の値打ちがあると信用されて、立派に流通する。お金とはそういう物なのだ。
あ〜わかった。それでピーすけは、ろくな働きもしていないのに、カナダで暮らせるのか、などと誤解しないで戴きたい。私は、それなりに、そこそこは働いている。またいくら手作りが好きだからといっても、残念ながら、紙幣偽造の技術までは持ち合わせてはいない。あったらいいけど。いやうそうそ。
しかしこんなにまじめで誠実な私と違って、国家は、ちゃっちゃと紙幣を増刷している。これはまさに偽造と紙一重で、ひょっとしたら同じことかも知れない。これは国家の錬金術だ。でも私の錬金術はこれとはちがう。
実は、私は今、とても値打ちのあるお金を持っている。それだけの値打ちに私が高めたといってもいい。これはまさに、錬金術といってもいいと思っている。
仕方がない。ここまで食いついて読んでいただいたのだから、そらまめ農場通信の読者の方にだけ、それをお教えしよう。
まずは小さな畑を手に入れる。そこに各種野菜の種を蒔く。毎日少しずつでいいから世話をして、ありとあらゆる野菜を少しずつ栽培する。畑の北の端には果樹も植えよう。一品種につき一本でいい。とにかくたくさんの種類の果樹を植えよう。その果樹園の中に小さな鶏小屋を作って、鶏も数羽飼い、昼間は果樹園に放とう。そして、とびきり健康な卵を産んでもらおう。鶏の餌は出来る限り、自分の畑で穫れた物を与えよう。
野菜に肥やしが必要なら、畑の雑草を刈り集めて、畑の片隅に堆肥場を作る。鶏糞も良い肥料になる。自分で食べるものだから、お金の必要な農薬は使わないでおこう。そして、出来れば芋や豆も作ろう。もし田んぼが手に入るなら、それはそんなに広くなくてもいい。米や小麦を作ろう。
雑草を刈るのが大変なら、山羊を一匹飼うのもいい。そうすれば、おまけでお乳もついてくる。これはちょっと大変だけれど。いずれにしても、何にしても、たくさん作る必要はない。自分たちの食べる分だけの、ほんの趣味の程度でいい。農家になる必要もない。
次ぎに必要なこと、それは、生活必需品などを自分でまかなうことだ。裁縫をしよう。日曜大工もしよう。料理も楽しもう。時間がかかってもいい。とにかくお金を極力使わないように工夫して作ろう。また持っている物が壊れたら、良く分からなくても、捨てずに自分で修理に挑戦してみよう。直らなくてもいい。でも直ったら儲け物だ。なにごとも、自分には不可能だ、と怯(ひる)んではいけない。そう思う自分の殻を破ろう。また、節約と称して、ひもじい寂しい生活をする必要はない。どんどん自分で作ろう。
そんな作業を続けていくと、手にはどんどん技術がついてくる反面、使うお金は減ってくる。ますます手作りが容易になる。食卓は、有機栽培の野菜や果樹、肉や卵で、とても豊かになる。他人と同じでない、あなただけの生活ができあがる。
それらの作業にとても時間がかかるのではとお思いの方も多いと思うが、自分の食べるもの、自分の必要な物だけについてなら、それはそれほどたいしたことではない。また作業量も年々減ってくる。数年もすると、わずかな労力でそれが出来ることに気づく。平均して一日に1時間もあれば、それで十分だ。朝飯前の労働程度かも知れない。いいエクササイズかも知れないし、それは苦行ではなく、趣味のようでもあり楽しみにもなる。
ちゃんと家計簿もつけてみよう。例えばひと月に30万円で暮らしていた人にとっては、30万円×12ヶ月の360万円というお金は、1年生活できるだけの値打ちがあるわけだ。でも、私の錬金術を素直に行うと、2〜3年後には月に20万円で生活が出来るようになる。もっともっと素直に実行すると、さらに何年か後には、ひと月10万円で生活が出来るかもしれない。つまり、年間120万円あれば、充分暮らせる。生活の程度も下がらない。いや、きっと豊かになって上がる。
そしてこの素直な人にとっては、120万円というお金は、1年暮らすのに十分なお金となる。つまり、わずかの時間の自給活動によって生活を変えたおかげで、その人にとってのお金の値打ちが、3倍に上がったのだ。それでも相変わらず1年に360万円を稼せげるとしたら、そのお金があれば、3年間は暮らせることになる。それなら、10年働けば、30年間暮らすことが出来る。ということは、そのうちの20年間は・・・。
今、私たちには、幸いにも十分な時間があるので、その時間で、粗放でない、出来るだけいい物を作って、そらまめ農場で販売している。たくさんは作れないけれど、それを求めて下さる人もいて、わたしたちの生活は、おかげでそれで充分成り立っている。
そんなわけで、私は普通の人が持っているお金よりも何倍も値打ちのあるお金を、ほんの少しばかり持っている。何倍も値打ちがあるから、ほんの少しで十分なのだ。
ピーすけ
自給自足スパイラル 自給自足スパイラル その2 建築
2009.09.14
自給自足スパイラル その3 錬金術 その1

今日は、経済のお話。
カナダと日本それぞれ半分半分のような暮らしをしていると、日本円とカナダドルの交換レートがとても気になる。近頃は為替が激しく動くので、油断すると、知らぬ間に日本円が強くなったり、突然下がっていたりもする。
カナダにいるときには、買い物には、日本から持ってきたクレジットカードを主に使っている。海外でクレジットカードを使った場合は、買い物をした日の為替レートで日本の銀行の口座から代金が引き落とされるのだが、交換レートは、なぜか、銀行などのそれよりも遙かにいい。またカナダでは、ほとんどどこの町の店でもクレジットカードが使えて、スーパーで菓子パン1個買ってもそれで支払いが出来るから、いちいち銀行に両替に行かなくてもいいし、多額のカナダドルを持ち歩かなくてもいい。この方法はとてもいいと思っている。
さて、例えばジャガイモ1キロだが、今カナダでは5ドルだとすると、長い年月の間には、二国間の為替の変動によって、ある時はそれが600円の日本円の値打ちになる時もあるし、時には400円の時もある。為替が数日で数円動くことも多いから、同じ週に同じ値段のジャガイモを買っても、10〜20円ほどの違いが出ることはざらだ。経済の仕組みに疎い妻でも、インターネットで為替レートを調べて、
「今日はレートがいいから、買い物に行きましょ」
などと私を誘う日もある。
一方、どの国においても、物の価格は絶えず変わるから、その国内のジャガイモそのものの価格も変わる。価格は、商品とお金の需給バランスなどによって決まるから、ジャガイモの不作の時には高くもなるし、穫れすぎた豊作時には値段が付かなくて、畑に捨てられる事もあるだろう。いつまでも5ドルであったり、500円であるとは限らない。
しかし、ジャガイモ1Kgの値打ちは、太古の時代から、何も変わっていない。ジャガイモ1Kgの持つカロリーとか栄養とか、それによって命が支えられることなど、今も昔も、多分未来も全く変りがない。国が変わっても、これは変りがない。だから、ジャガイモの価格が、国内で、あるいは国と国の間で変動すると言うことは、ジャガイモそのものの持つ値打ちが変わったのではなくて、それぞれのお金の値打ちが、伸びたり縮んだりして変わると言うことだ。
お金の値打ちが絶えず変動しているということは、経済に関心を持っている人には全く当たり前のことなのだが、当たり前と思いつつも、普段はやっぱり、お金を中心として物の値打ちを計るという癖が、私たちにはあると思う。
さて、私がお話ししたいのは、そのように伸び縮みするお金の値打ちを飛躍的に高める方法で、いわば錬金術だ。
と、ここまで書いて、書き慣れない畑違いの経済のことを、貧弱な脳みそと知識であれこれ考えて書いたので、今日はちょっと疲れた。長くなりそうなので、続きは次回に。果報は寝て待て。ではまた来週。
ピーすけ
2009.09.07
ところ変われば

カナダバンクーバーアイランドの太平洋側に、バンフィールドという小さい街がある。そこには、静かで遠浅のとてもきれいなビーチがあって、そのビーチに沿う森の中にはキャンプ場もある。今年は友人一家と、四輪駆動の自動車を連ねて訪れた。そこは、私たち夫婦が、カナダで初めて本格的なキャンプをした場所でもあり、お気に入りの場所でもある。

しかし、そこに行くには、120キロの山の中の未舗装の悪路を越えていかねばならない。だから、その道を走る車は、ほとんどが、車高の高い四輪駆動車だ。そのため、そのビーチを訪れる人は限られており、それがまた、その静かなビーチの魅力を増している。

最初の50Kmほどは、日本では滅多にお目にかかれぬ悪路が物珍しくもあり、ぶっ飛ばして運転するのも面白い。だが大きな穴ぼこにはまって自動車が大きくバウンドするし、砂利や石ころにタイヤを取られて激しく左右に揺れ動くので、絶えず体ごと弄ばれ、後半はかなり疲れる。私の車は古いから、きしむ音も大きい。最後の20Kmほどになると疲れ果てて、車が壊れることなく無事到着出来ることを祈るばかりだ。ついでに言えば、妻はそんな状況下でも、出発地点から到着地点まで一気にワープ出来る(熟睡する)という隠れた才能を持っている。
ところが到着寸前に、自動車のマフラーのパイプが、激しい振動によってか、途中からぽっきり折れて落ちた。オー、マイ、ガッ!!

さて今日は、美しいビーチのお話ではなく、そのマフラーの修理のお話。

マフラーが折れたら、普通はマフラーの総取り替えになって、折れたマフラーと共に、数万円がすっ飛んでいく。日本でなら、自分で溶接して修理することも可能だが、ここでは溶接機を持っていないから、それもままならない。どうしようか、どこへ修理に出そうか、高いキャンプになったなぁと少し気落ちする。帰路は、振動に加えて、ブォォォーという腹に響く低い排気音に包まれつつ、再び悪路に揉まれて帰宅した。

数日後、とりあえず、カナディアンタイヤという自動車用品や雑貨を販売するチェーン店に、リサーチに出掛けた。するとなんと、そこには、マフラーを継いで修理するための様々な径と様々な形のパイプが、各種どっさりと売られていたのだった。日本では、こんな修理部品は、一般のカー用品店には売られていない。いや、多分どこにも売られていない。早速直径を正確に確認して、たくさんのパイプの中から、ぴったり合う物をひとつ買い求めた。価格もわずか5ドル(500円)。レジに並んだら、私の前の人も、私と同じくマフラー修理パイプを手に持っていた。別の金物店で金属用のドリル付きネジを2ドルで買い、家に帰って、自動車の下に潜り込んだ。パイプを差し込んで、ネジ穴を開けて、ネジ止めして、はい、修理完了。素晴らしい!Vivaカナダ!
そういえば、家の建築材料もありとあらゆる物が売られており、プロ・アマ関係なく同じように買える。塗料も工具も電気工事部品も水道の修理部品なども、プロ用の物がいろいろ揃っている。日本でも、インターネットを通じて、ずいぶんいろいろなものが買えるようにはなったが、それよりも遙かに多くの種類の、それも細かい部品から大型機械に至るまでの専門的な商品を、普通のホームセンターや金物店、専門店などで手に入れることが出来るのだ。友人によると、マフラーの専門店もあるそうだ。
餅は餅屋と言うけれど、もちろん自己責任は持たねばならないが、自分でやってみたい人のためにいろいろな方法や道具や部品が用意されているこの国の文化は、私には興味深い。プロが自分たちの権益を守るために、アマチュアでは買えないようにしているということもないようだ。
プロに頼んでもいい。自分でやってもいい。いずれにせよ、何事にしても、様々な選択肢の中から自分でしたいように好きに選べる、タブーや規制の少ないこの社会はとてもいい。
ピーすけ
2009.08.31
仕事の合理化

(お菓子作りに励む妻)
もう、ん十年?も前の話だが、私が勤めだした頃はまだ、そろばんの時代だった。そんなころに学校を卒業して、会社に就職した。配属された部署は、専門とはほど遠い経理課だった。10人以上が働く経理課に電卓は1台しかなく、ぱちぱちとそろばんの音のみが聞こえる、静かな静かな職場だった。
大分ポピュラーになってきていた電卓も、そろそろ液晶表示のものが販売されかけていたが、大方は蛍光管表示といって、青い小さな電球を点灯させて数字部を表示する物が主流だった。電池の消耗も激しく、電気コンセントに差し込んで使う物もあった。値段は高く、ちょっとした高級品だった。
そろばんも暗算も出来ない私は、仕方なく、大枚をはたいて自分用の12桁の電卓を買ったが、経理課の人たちに
「経理課の人間がそんな物を使うなんて」
とたしなめられて、仕方なく、昔子供の頃学校で使ったそろばんを、実家から持ってきて使った。二十歳を過ぎてからそろばんを習うとは思わなかった。そもそも1から10まで、何度そろばんで足しても滅多に55にならない私にとっては、最初の数ヶ月は悪夢のような毎日だった。100枚以上が一束の請求書を、何度計算しても毎回答えが違うのだから。商業高校を出たばかりのかわいい女の子にあきれられさげすまれ、面目もなかった。
自宅に帰っても毎夜練習をして、ようやく6級程度のそろばん問題集が出来るようになったが、それでもかけ算や割り算は全くダメだった。そんなころ、マイコンと言われるコンピュータが世に出た。新しい時代がやってきたと思った。
それは今のパーソナルコンピュータの、日本で発売された最初のモデルだった。もちろん今のような高性能なものではなくて、処理スピードは今の機種の500分の1以下、メモリーを増設してもわずか32KBと、今の3万〜6万分の1ほどしかなかった。Basicという英文字のプログラム言語でプログラムしないと全く動かないし、数字とアルファベットとひらがなカタカナしか使えなかった。データの保存はテープレコーダーでカセットテープに音で記録した。今から思うと、おもちゃ以下だ。
本体が16万円ほどで、これもまたおもちゃのディスプレイと黒単色のプリンターも含めて32万円もしたが、そろばんから逃げるためと、これからの世の中で生きていくための自己投資と思って飛びついた。もちろん自費で。その頃の給料は手取りで9万円しかなかったから、ものすごい投資だ。
それからは、自宅で、寝ても覚めてもコンピュータにかじりつき、プログラムの方法も独力で覚えた。試しに、ちょっとした会社や個人事業主が使える会計プログラムも作ってみた。それまで会社で手作業でやっていた資金繰りや金利計算などの複雑で煩雑な作業を、一気に簡略化できるプログラムなどもたくさん作った。そうして、いよいよ会社にそのパソコンを持ち込んだ。
評判は上々で、上司もとても関心を持ってくれ、いろいろ掛け合ってくれて、手作業ばかりだった経理課に、上等なパソコン(それも今から思うと、やっぱりおもちゃの一種だが)を購入してくれることとなった。たくさんの部署がある会社全体でも、それは第一号のパソコンだった。
もちろん会社には、大型のオフィスコンピュータがあったが、それは電算課の人たち専用のもので、私たちは相手にもしてもらえなかったので、自分たちの専用のパソコンを手にして、私はとても嬉しかった。そして、そろばんばかりだった職場が徐々に変わっていった。今では古い言葉になってしまったが、これは、いわゆるオフィスオートメーション(OA)の走りだったのだ。これで仕事がぐんと楽になると思った。
その後手作業だった仕事は、どんどんコンピュータに取って代わられ減っていったが、その代わりに次々と新たで複雑な仕事を要求されるようになり、経理課全体の仕事量はかえって増えた。また、これまで頭で考えてやっていた仕事をコンピュータが一瞬にやってしまうので、もうとても手作業ではやれなくなってしまった。手作業が煩雑ということよりも、コンピュータにただ入力すればもう、あとは何も考えなくて済むので、そのため、その作業の仕組みや方法そのものがわからなくなってしまったのだ。
仕事を合理化することで、経理課全体が楽になると思って頑張ってやったことだが、実はそれとはほど遠く、人間そのものにとっては全く正反対で、とても忙しくなってしまった。コンピュータを覚えたばっかりに、私もとても忙しくなって、経理の仕事と並行して大型のオフィスコンピュータ専用のプログラムも勉強するように命じられ、その後残業の毎日となった。今から思うと、そろばんだけの手作業の時代が懐かしくもある。
会社を辞して、その後13年間、その反省もあって、コンピュータには一切触れなかった。
今、再びコンピュータと接するようになった。そらまめ農場の仕事は大方が手作業で、あれこれとても煩雑だが、コンピューターや機械のおかげで作業が楽になりつつある。そのおかげで浮いた時間分は仕事を減らしていこうと思う。世の中は絶えず進んでいくので、それも口で言うほど簡単ではないが。
ピーすけ
2009.08.24
ズッキーニのケーキ

ズッキーニがたくさん収穫できるようになった。といっても、これはそらまめガーデン in Canadaでのお話。日本のそらまめ農場では、ズッキーニを作るのはちょっと難しい。毎年梅雨時まではぐんぐん成長するのだが、梅雨を迎え始めると茎が黄変し始める。多雨多湿に弱いようだ。高い畝にしたり、雨避けをしても、なかなかうまくいかないこともある。

(下の細い二本は、日本の種から育てたキュウリ。こちらの普通のキュウリは・・・堅くてマズイ)
一方カナダでは、比較的簡単に栽培できる。日本のようにうどんこ病にもならず、すくすく育つ。だから、こちらでは、ズッキーニは夏に穫れる代表野菜のひとつで、夏野菜にトマトを加えて煮込む野菜煮込み料理のラタトゥイユには欠かせない野菜となっている。ニンニクとオリーブオイルでズッキーニを炒めてパスタにも使うし、オリーブオイルを振ってオーブンで焼くこともある。生でサラダにも使うし、スープの具にも使う。酢漬けの保存食として瓶詰めにもする。

穫れすぎる野菜の処理法と言ってもいいかと思うが、ズッキーニケーキというのもある。妻が、カナダS島在住のKaoriさんに教えてもらって、畑で出来たズッキーニを使って、チョコレートズッキーニケーキを作ってくれた。チョコレートとズッキーニとはおもしろい取り合わせだが、これがおいしい。聞かなければ、このケーキを見ても、さらに食べてみても、このケーキに、ズッキーニが皮ごと丸一本すり下ろしで入っているとは気がつかない。
食感はしっとりとしてぱさつかず、妻に叱られつつ少々たくさんつまみ食いしても、お腹がもたれない。焼いた翌日以降は生地が落ち着いてよりおいしく、ラップで包んで冷蔵庫で保管すると、ひんやり冷たくてそれもおいしい。冷たいチョコ生地が、舌の上で解けるようにほぐれていく。甘さは元々のカナダのレシピよりもかなり控えめにしてあるが、だからかえって、少し入っているチョコチップに巡り会えた時は、甘党の私としてはとても嬉しい。さらにそれを求めてぱくぱくぱくぱく。
こんなケーキを最初に考えついた人は偉い。発想が豊かというか、型にはまっていないというか。ズッキーニは、こちらではさしずめ日本の夏のなすびやキュウリ、冬だったら大根や白菜のような扱いの野菜なだけに、普通人は、余計にケーキとは結びつけることが出来ない。さらに、わざわざ買い求めた物ではなくて、自分のところでたくさん穫れた物を工夫して使っておいしいお菓子を作る、という発想もとてもいい。
そらまめ農場も普通人を脱して、なすびケーキや大根ケーキを試作してみるか。
ピーすけ
2009.08.17
スケールメリット

(ナナホシテントウの幼虫。アブラムシを食べてくれる)
スケールメリットという言葉がある。商品を大量生産したり大量に買い取ることによって生じる利益のことで、これは和製英語で、merit of scaleが正しい英語らしい。規模拡大による利益とも言える。原材料をまとめて買ってまとめて生産すると製品ひとつあたりの製造単価が下がったり、逆に一度にたくさん製品や商品を買うと値引きや割り戻しやおまけの付与などがあるという、生産現場や物品の販売時にごく普通に行われていることがらである。簡単に言うと、一度にたくさん扱ったら、量による利益を得ることが出来るということだ。私も時々これを利用して、必要な物を安く買うことがある。
以前野菜を販売していた頃、都会から遠路はるばるほぼ毎週来て下さるお客さんからこんな話があった。彼の家は私の所から片道2時間以上かかるところだが、そこで今から20人ほどの消費者がグループを作るから、毎週一回、野菜や卵を届けて欲しいと言うことだった。とてもうれしいお話だったが、どうやってそれを送り届けるかということで、話し合いになった。
宅配便で送ると、20軒分となると半端な量ではないから、送料が高くつく。それで、やっぱり毎週私に持ってきて欲しいと言うことだった。たくさん買ってもらえるので嬉しい話だったが、片道2時間以上だから、往復5時間はかかる。往復のガソリン代はどちらが負担するかは別として、完全に配送に一日費やすことになる。
当時毎日農作業や家作りや鶏飼いにとても忙しくしていた私は、土曜日も日曜日もなく働いていたから、一週間の内の一日をそれに充てる余裕がなく、とても難しい話だった。そもそも工業生産の製品と違って、小さな農家の、天候や自然に任せた野菜作りだから、毎週20軒分の何種類もの野菜を、配達日にあわせてきっちり揃えて生産するのは、それなりになかなか大変だ。野菜の場合は、機械のようにまとめてたくさん作るのが必ずしも効率的で、かつそれでいい野菜が生産出来るとは限らないからだ。下手をすると手が回らなくなって、大量粗放生産になってしまうし、畑の面積ばかり食って、そのくせ出荷時期にうまく生育があわなくて、無駄が出ることもある。
また野菜を収穫するのは配達当日の早朝からだが、雨も降るし、氷点下で雪が降る日もある。収穫した野菜が次々しおれていく暑い日もある。そんな日には、私もへなへなしおれる。そういうことに関係なくあれこれと動き回るのは、機械ではなく私だという思いもある。お金に振り回されているという感じもする。本当は、野菜の生理に合わせて細かく世話をした野菜を、ほぼちょうどの時期に収穫し、それを来ていただいて、ある分だけ買っていただくというのが一番いいのだが。
それで、そちらが20人のグループなら、そのメンバーが交代で取りに来てくれませんかと提案をした。もちろん月に一度くらいは私が走ってもいい。これならグループの人たちは、一軒当り年に2回ほど、半年に一度だけ来ていただければ事足りる。買う人は、たまに私の所にやってきたら、自分たちが毎週食べる野菜の生育も作っているところも、作っている人間も見ることが出来る。一人一人とお友達になれるかも知れない。人数のメリットをみんなで共有してはどうかという提案だ。
でも、20軒がまとまって買ってあげるのだから、あなたが配達するべきだ。そのために20軒集めようと思ったのに、と一方的に言われて、20軒のグループで購入しますという話自体を打ち切られてしまった。ありゃりゃ。
もちろん私には野菜などの代金が手に入るが、先方には、私たちが育てた農産物が確実に定期的に手に入る。私は、売る方も買う方も、つまりお金も野菜も同等で等価交換だと思っていたし、量が増えたらそれなりの面倒も責任もあるから、どうしたらいいか、みんなで一緒に考えたらいいと思っていたのだ。
このまとまらなかった話で、やっぱり逃がした魚は大きかったか、としばらく悶々としていたら、焼き物をしている人の面白い話を聞いた。その陶芸家は、結婚式の引き出物などで、例えば同じ形の湯飲みなどをたくさんまとめて注文されると、ひとつあたりの単価を上げるというのだ。つまりたくさん注文すればするほど、湯飲みの単価が高くなっていくというのだ。スケールメリットとは全く逆だ。
彼によると、少しならいいけれど、同じ物を延々とたくさん作るのは面白くなくて、というより苦痛で、その苦痛に耐える労働の対価をいただきたいということで、ひとつあたりの単価を上げていくということらしい。
常識外れでわがままなのかも知れないが、同じ生身の作り手としては、わかる気がする。
彼はきっと、貧乏陶芸家だろうなぁ。
ピーすけ
2009.08.10
ざるそば食べ放題

うどんもうまいが、そばもやっぱり奥深い。
信州美ヶ原から松本の市街に降りる途中で入った、地元の人に教えてもらった小さなそば屋さんの手打ちそばはとてもおいしかった。兵庫県但馬地方の出石(いずし)へは、時々妻と二人で皿そばを楽しみに行く。同じく但馬地方の神鍋高原のペンションKのご主人の打ったそばは、趣味のそば打ちとは思えぬほどおいしかった。豆腐をつなぎに使っているとか。仕事に適当に都合を付けて、比較的空いた平日にこういうところにちょこちょこ行けるのは、農家ならではの贅沢かな。
さてそのそばだが、どのようにうまいの?と聞かれると、そばの風味、コシ、食感や喉越し、味、つゆ・・・と説明がとても抽象的になってしまう。いったいそばって、どこをどう旨く感じるのだろうか?そう自分に問いただしてみると良く分からなくなってくる。私は麺の風味と食感かな。やはり抽象的だけれども。
ざるそば食べ放題の店があると聞いて、そば好きと食べ放題に関心のある、同じく平日はどうにでも都合の利く各種の職業の数人で訪れた。どんな職業の人たちかをここに書くと、田舎は狭い世界でそれがすぐに誰かがバレてしまうので、ここでは伏せる。と、こう書いただけで、もう大方バレちゃったかな。申し訳ない。
そのそば食べ放題が一人当りいくらだったのか、記憶には全く残っていないが、そんなことは問題ではない。とにかく食べ放題だった。この「食べ放題」という言葉に異常に弱い人もいるようだが・・・。
朝から胃袋を完全に空っぽにして、満を持して出掛けた。久々に心弾む外出だ。出費以上は喰わねばならぬ。並々ならぬ強い覚悟を持って挑む。
一ざる目は笑顔でつるつる。
「おかわり!」
の声も明るく朗らか。友人たちも嬉しそう。麺もなかなかしこしこしていて、喉越しもいい。二ざる目もつるつる平らげる。そしておかわり三ざる目。
そば屋の策略か、三ざる目は、一ざる目二ざる目と同時に湯がいたそばだった。二ざる目はまだしも、三ざる目となると当然湯がいてから時間が経過しており、麺は伸びて喉越しも悪く、もそもそしていておいしくない。とても食べにくくて呑み込みにくい。平らげるのに時間がかかった。もたもたしている間に、満腹感もどーんとやってきた。わずが三ざるでダウンか!ギブアップする友人も。
向かいの席の麺好きのGさんが、果敢にも四ざる目に行くという。私も負けてはならじと、おかわりを注文する。四ざる目は、新たに湯がいたそばが出てきた。うまい。食べられる。つるつるといただき、これならと勢いで、もうひとざるおかわりを注文する。この時点で、胃袋が、その形のままで腹から突き出ているのがわかる。
五ざるめは、満腹でとてもつるつるとはやれず、麺を少しずつ箸で掴んで口に運んで押し込む。のどから胃袋まで、そばが繋がって詰まっている感じだ。しかも胃袋の上部の入り口の噴門は、もはやそばの流入を拒否している。つい無口になる。しかし注文した以上、とにかくこのざるのそばを食べ切らねばならぬ。食べ放題に対する仁義でもある。それ以前に、幼少のみぎりから両親に厳しく躾けられた私は、食べ物を残すことが出来ない。今朝からの喜びが、いつしか苦しみに変わる。
食べ終えて、むなしさ漂う私を、斜め上から見下ろすもう一人の自分・・・。
もう、食べ放題には行くまい。どうか、この弱い私を、誘わないで下され。
ピーすけ
2009.08.03
誤算 その3

ログハウスの一階部分を積み上げつつ、神戸の大型書店にも行った。
そもそもの設計図では、2階と屋根の妻側の部分までログで作る予定だった。だが、この2年間で一階部分のログ材を刻むのに辟易していたし、けがをしてしまったこともあって、さらに2階部分のログの加工作業を継続してやり終える自信や意欲など、遙か彼方に消え失せていた。それで、北米で主流の建築方法である2×4(ツーバイフォー)工法の知識を得るために、書店に行ったのだ。
当時2×4工法の本はほとんど出版されていなくて、迷うことなく、建築コーナーにあった建築の専門書を一冊見つけて買って帰った。それを帰宅後、藁(わら)にもすがる思いでむさぼるように読んだ。幸いにも、それまで難解な在来工法の本やログハウス建築の本をいくつか読んでいたので、この2×4工法の本はいとも簡単に読めた。素人が読んで簡単に理解できる建築方法だった。本一冊を読んだだけでやれる気になれたので、とても嬉しかった。
2×4用の建材はまだほとんど市場に出ていなくて、もちろん今のようにホームセンターに普通に売ってあるという状態ではなかったので、近所の製材所に、2×4用のサイズに合わせて、より丈夫な木を使って製材してもらうことにした。日本の製材所では、一寸五分の一寸八分(切り口のサイズ)の長さ二間(けん)などと言って材料を注文するのが普通だが、2×4用場合はインチとフィートの単位を使う。もちろんこれでは日本では通用しないので、39ミリ×89ミリで長さは4メートルというふうに紙に書いて頼んだ。こういうサイズの注文はまずないようで、
「なんじゃこれ?」
と不思議そうな目で見られた。
「ほんまにこれでええんやね」
と念を押されて、私も良く分からず自信もなかったので、
「はぁ」
と頼りなく返事をしたが、素人大工なのが見え見えで、何となく気恥ずかしかった。
材料を注文して届くまでの間に、ログの部材を、家族や手伝いに来てくれた友人たちと、一段ずつ積み重ねていった。ちょうど桜の開花するころ、日に日に壁が高く積み上がっていって面白かった。一階部分のログを組み上げるのに2ヶ月かかった。

一階のログ組みの上に二階の床を張って、今度はその上で2×4材を刻んでいった。重いログ材と違って、2×4の材料は軽くてとても扱いやすく、二階の壁と部屋の材料を刻むのに3日もかからなかった。さらに合板を貼り合わせて二階を組み立てていった。

一階部分は材料刻みと建築に2年と2ヶ月かかったのだが、2×4工法では毎日作業が驚くほど着々と進み、全く飽きることもなく次々と二階の部屋割りが出来ていき、材料刻みから屋根組みまで、わずか2ヶ月で充分だった。一階部分のログ材刻みと違って、驚くべき速さだった。

「こんなに簡単なら、最初から一階部分も2×4工法で作っておけば良かったのに」
と妻がのたまった。私も本当にそう思った。
ピーすけ
2009.07.27
誤算 その2

妻は結婚した頃から、部屋の模様替えの図面を描くのが好きだった。その延長で、自宅ログハウスの間取り図をずいぶんたくさん書いてくれた。それらを参考にして、私が建築図面を描いた。建築図面と言っても、グラフ用紙に鉛筆でぴらぴら〜と絵を描いただけで、正式な建築図面ではない。素人の悲しさで、それだけでは立体のイメージがなかなか湧かないので、ダンボールで簡単な縮小模型も作った。これを模型というのはちょっとおこがましいが。
ようやく一階部分のログ材の加工が済んだので、建築図面を元に、建築予定地の田んぼに実際の大きさの間取り図を描いた。本当は運動場のトラックのように純白の石灰で白い線を引きたかったが、節約して米ぬかで引いた。家族をみんな呼んで、ダンボールの模型を見せながら、これから建てる家の説明をした。
私を先頭にして妻が続き、金魚のフンのように三人の子供がその後に続いて、
「ここが玄関で〜す」
「ここがダイニングとキッチンで〜す」
「階段を上がって二階へ行きま〜す」
「ここがトイレでこちらがお風呂」
「ここは子供部屋で〜す」
などといいながら、米ぬかの線の中をぐるぐる巡っていった。何もないただの田んぼに描いた線だったが、めいめいがそれぞれ勝手に夢の家を想像しているせいか、うきうきとしていて、とても嬉しそうだった。私も楽しかった。田んぼでにこにこしながら繋がってうろうろする家族は、傍(はた)目から見たら電車ごっこにでも見えて、変だったに違いない。
家族の家に対する感想は
「家が小さ〜〜い」
「かわいい!」
だった。そうか、この家は小さいのか、と私も思った。図面では一階に約9畳の部屋が6つあり、さらにその総2階建てだったのだが。
さて実際一階部分が立ち上がってみると、田んぼに描いた平面図からは想像できないほど大きい建物だった。妻はその巨大さに驚き、
「もう二階はいらない」
と言った。私もこの一階部分の上にさらに二階と屋根を乗せるのかと思うと、見上げてみて不安になった。私は高いところが怖い。
建物は、平面に描いた広さを見て判断してはいけなかったのだ。ダンボールの模型も、ちょっと可愛すぎたか。

ピーすけ
2009.07.20
誤算

家を建てるために図面を描き、丸太などの材料を友人にトラックを借りて買いに行った。材料の150本の杉材は地元産で、2トンロングのトラックに山盛り二台分あった。使っていないビニールハウスを材料置き場兼作業場にして、購入した原木(製材)の加工を始めた。
私の建築計画はこうだった。ログハウスの一階部分の壁を作るには、長短約500ピースの部材が必要だ。購入した150本の原木を刻んで加工し、一日10ピース作ったとして、それで約50日で500ピースが出来る。余裕を見て約2ヶ月もあれば、すべての作業が軽く終了するはずだ。加工作業自体はそんなに難しくないからだ。
作業を始めたのは1月の寒い時期で、日が照ると、ビニールハウスの中は暖かくて、気持ちが良かった。ビニールハウスを作業場にするのは、我ながらいいアイデアだと思った。しかし、太陽の照らぬ日は冷え切って寒く、手がかじかんで、鉛筆を持つ手も怪しくなった。さらに中国山地の変わりやすい気候によって、曇ったり晴れたりが一日のうちに頻繁に繰り返される日は、ハウスの中は急に暑くなったり急激に寒くなったりして、頭痛さえし始めた。
その上思いも寄らなかったことが起こった、材木にカンナをかけ、作成図面に従って長さを測って切り、決まった位置でほぞやほぞ穴を作り、ボルト穴を空けていくという作業はとても単純で、それが、これなら素人でも家が建てられると思った大きな理由だったのだが、この作業によって、毎日同じような作業を淡々と繰り返すということに自分自身が全く向いていない、ということを思い知った。1週間で完全に飽きた。作業は一日置きになり、すぐに二日置きになった。夏休みの宿題の計画が狂い出すとどんどん宿題が溜まっていくのにも似て、毎日のノルマ本数がどんどん増えていき、それがさらにやる気をそいだ。
やがてすぐに春がやってきてハウスの中は夏のようになり、ハウスに入って作業する気も失せた。ハウスにブルーシートをかけて日差しをよけたが、それでも5月には蒸し風呂のようになって作業が出来なくなった。途中でけがをしたこともあって、材料刻みには結局、丸2年かかった。1年で家を建てると公言していたので、友人には会う度に冷やかされ、材料の杉材には150万円を支払っていたので家人にも責められ、子供にも宿題しなさいと強く言えず、作業はだれも助けてくれないので自分しか頼れず、その自分は信頼できず、針のむしろのような辛い2年間だった。
自分が思うほど、自分のことは分かってはいない。そして何事も、なかなか頭で考えた通りに事は運ばないのだ。やってみて初めて気づくことはあまりにも多い。人間は機械ではないのだから、当たり前と言えば当たり前だが。
しかしながら、面白くもない材料刻み作業を、責められつつも途中で中断することなく、2年かかっても継続してやり終えたのは、我ながら偉い。ほんまによぅやった。家はその後、建築を開始してから15年を経て、今もなお住みながらすこしずつ建築中だが、それもそのうち、きっと完成する。
ピーすけ
2009.07.13
黄身の色

鶏小屋の南側の果樹園の周りはネットで囲われている。天気の良い日に鶏小屋の果樹園に面したドアを開けると、鶏たちが緑草を求めて運動場へ出て行く。鶏は緑草が大好きだ。
知っている人も多いと思うが、卵の黄身は、食べた餌の持つ色素によって着色される。餌のとうもろこしや緑草にはカロチノイド(キサントフィル)が含まれており、それが黄身を黄色くする。
市販の卵は、さらに着色料で着色されている。最初は黄色だったものが、見栄えが良いように、そして良く売れるようにと徐々に濃い黄色に着色され、さらに競うようにエスカレートしてきて、今では赤味がかった黄色に着色されている。少しずつ色が変わってきたので、ほとんどの人がそれに気づいていない。
飼料会社にはカラーチャートという色見本があり、養鶏業者はそれを見て、希望の黄身の色の卵を産ませることの出来る餌をオーダーできる。着色料には、化学合成された着色料も使われている。
そらまめ農場の卵の黄身の色は、トウモロコシを与えていないし着色もしていないので、大方、緑草によってのみ黄色く色づいている。だから、卵かけご飯は、市販の卵を使ったときほど黄色くならず、茶碗蒸しも、ごく薄い黄色に仕上がる。季節によって草の量も種類も変わるので、黄身の色も変化する。緑草をふんだんに与えられるときは濃い黄色になるし、緑草の少ないときには、時々悲しいほどの薄い黄色にもなる。ただ、黄色が濃くなったり薄くなったりはするが、なかなか赤くはならない。
卵の味や栄養は、黄身の色の違いによっては変わらないないと言われているが、着色料よりも緑草を食べている鶏の方が、ずっとずっと健康的でいい。そんなことは私にもわかる。食べたものがすぐに卵に出るのだから、餌にはこだわらないと。だから、赤い黄身を横目に見つつ気にしつつ、もう20年間も、頑(かたく)なにこのような養鶏を続けている。他とは違うそんな卵を、文句も言わずずっと買い続けて下さる皆さんには、本当に感謝している。
私が調べたところでは、アメリカ、カナダ、イタリア、フランス、ドイツ、イギリス、インド、韓国、中国などの国の卵の黄身は、日本のように赤くはない。例外の卵もあるのだろうけれど。
着色されていない卵が普通の卵として扱われている国に行くと、日本の卵の特異性がわかる。長い間、私は自分の所の卵が特別で、それにこだわる私が偏屈なのかと思っていたが、外国で同じ色の卵を目にして嬉しかった。私って案外普通なのかも!
着色たらこやウィンナーなどには赤色102などの着色料が用いられているが、着色されたそういう食品は、今では消費者に敬遠されるようになった。日本の卵にも、そろそろそういう時代が来るかも知れない。
ピーすけ